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2011年8月29日月曜日

アトリエ洗濯船 テルトル広場

レイのパリでの生活は2年目を終わろうとしていた。

1年の交換留学のばずだったが、お世話になったホストファミリーの父親からパリの美術学校で講師をしてほしいと依頼されたからだ。

レイはホストファミリーの家を出てモンマルトルで一人暮らしをしている。

モンマルトルは下町で昔から芸術家のたまり場だった。レイの住んでいるアパルトマンのすぐ前は今では小さなホテルになっているが、以前は多くの芸術家が出入りしていた「アトリエ洗濯船」という下宿だった。ホテル片隅に今でもそんな説明が書かれている。

モンマルトルは小さな丘になっている。丘のてっぺんは平らで、テルトル広場と言う場所があり、多くの画家が絵筆を運び、似顔絵やパリの風景を描いて観光客に売って生活している。

レイはこうした画家を否定したり、軽蔑するつもりもない。しかし、自分はやらなかった。それはパリの学校に来て一年もたたない頃のことだった。

「ああして簡単な似顔絵を描いて観光客に売るのは自らの腕を切り売りしているようなものだ。もっと言えば、才能を切り売りすることになる。芸術とは切り売りせず、完熟するまで苦悩し、大輪の花を咲かせなければならないのだ。例えそれが生きているうちには咲かないかもしれなくてもだ、優れた芸術家は皆そうなのだ」とベルギー人の講師が生徒皆に力説していた言葉が頭から離れなかったからだ。

レイは優れた芸術家とも、大輪の花を咲かせようとも思わなかったが、病気で生死の境を彷徨ったことが、生きる上で人に諂い意思を曲げて生きることを嫌わせたのかもしれない。

レイはテルトル広場から見るパリの街が好きだった。あれほど青い明るい空に憧れていたのに、パリに住むようになってここの景色が好きになった。

ここからの景色は混沌とい言葉がぴったりだ。特に夕暮れのパリの空はうすいミルキーグレイに青と赤の刺し色をところどころに入れた墨絵のようで、レイの作風とも一致していた。それが時間と共に全体の影がぼんやりしてきて最後には見えなくなってしまう。レイはその儚さを好んだ。

講師の仕事は週に3日だった。それ以外の2日はサントノーレ通りにあるNという鰻屋でアルバイトをしていた。この通りは高級ブランドのお店が連なり、お洒落な人達が多く集まるところだ。レイには関係ない所だと今でも思ってる。

ヨーロッパでも鰻はポピュラーな食べ物で知られている。レイは一度だけその店の鰻を食べたことがあったが、皮はひきちぎれない程硬く、味付けは甘く大味だった。

それでもバカンスを楽しみ日焼けした肌に大きなダイヤを付けた裕福そうなマダムが器用に箸を使いながら美味しそうに食べていた。

レイは面接の時にそのことは一言もしゃべらなかった。

鰻は英語ではEELという。穴子も全てEELなのだ。ヨーロッパの鰻は何でも日本の鰻と種類が違うらしい。鰻の学名はアンギラスという。レイはこんな名前の怪獣がいたなとふと思ったことがあったが、ようはこの何々アンギラスの何々の部分が違うということらしい。

今日はそのアルバイトから帰り途、アベス駅の改札のところで携帯が動いた、サイレントモードだ。

パリの地下鉄は難しいというが、慣れてしまえば使いやすい。必ず行き先が電車に書かれている、それをしっかりと確認すれば良いのだ。モンマルトルという駅は無い。ここアペス駅が最も近い、階段を登ればレイの下宿はすぐそこだった。

携帯の相手はレンだった。

レンとは3カ月以上電話もしていなかった。レイは学校の講師とアルバイトの掛け持ち、さらに講師仲間とも会う時間も作らなければならず空いた時間はヘトヘトだった。

レンは自分の研究が認められ助成金が出るようにまでなっていた。研究室に土日はなく、盆や正月もなかった。

そんなレンよりの電話だった。

「レイ、来週、ジュネーブで学会があって、帰りにパリに行くんだ。教授のサポートだけど、ジュネーブからパリに戻ったら自由な時間が出来るから会わないか」

「土曜日ならOK。どこのホテル泊まる予定なの?」

「教授はチェルリー公園のすぐ近くの高級ホテルたけど、俺はまだ決めていない。レイのところに止めてもらってもいいかな?迷惑?」

「迷惑じゃないけど、狭いし、ちょうど暖房も壊れていて寒いのよ。私の方が避難したいくらいなんだから。レン、下宿のすぐ前のあの洗濯船・・・のホテル泊まれば」

「えっ何洗濯船って?」

「いいのよ、洗濯船、来れば分かるから、私が予約しておくね。きっと安いと思うよ。一泊なんだよね」

「日曜の夜にはパリを出発する予定だから、正式には1.5日かな」

「分かった」

レイは部屋に戻り暖房のスイッチを入れた。




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