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2011年8月27日土曜日

マルクスとダーウィン

マルクス本がこのところ売れているようだ。

そんなときはマルクスがダーウィンについて関心を寄せていることを知った。もちろん専門的にとりあげたわけではない。

マルクスにしてみれば「まあいいんじゃない」という具合である。

しかし、一方エンゲルスははるかにダーウィンのことをきちんと扱っている。彼の「自然の弁証法」がその表れである。

つまりマルクスは自然科学においてエンゲルスよりも興味が薄く、「まあいいや」程度の理解だったのだ。

ならば何故マルクスは世の歴史においてダーウィンの理解者となりえたのか。

その問いの答えはマルクスの妻にある。

妻は乳がんで苦しんでいたのだ。

マルクスはランケスター医師(マルクスの信奉者でもない)にどうしたらよいのか助言を求めた。

そして治療についての有用な知識と紹介を得たのだ。

マルクスとて人間、CPスノウがいう「文系と理系の乖離」はこうして融和を果たすわけです。

つまりは経験こそ相互認識の始まりなのです。

共産党宣言の後ろにはこうしたマルクスの苦悩と現実があったのです。

民主党のみなさん、分かるかなこのたとえ・・・・経験こそ相互認識のはじまりなのです・・・・

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