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2013年1月21日月曜日

いも羊羹 舟和


いも羊羹 舟和

私は甘いものが苦手である。どちらかというと進んで手を伸ばさない。そんな私でも無性に懐かしくなる甘味がある。それが舟和のいも羊羹である。
当時東京に住んでいた祖母は私のところに来るときに必ずこのいも羊羹とあんこ玉をお土産に買ってきてくれた。あの頃の私にとって東京の玄関口は浅草だった。東武線の急行に乗り浅草が近づくにつれ曳舟、鐘ヶ淵、北千住の寂しい駅を通り過ぎる。カーブで電車の車輪が軋む音が聞こえたら東京は近い。緊張で胸の鼓動が速くなる。
私の東京の一歩はいつも浅草だった。そのまま銀座線で渋谷まで小一時間地下鉄にのる。
駅につく前に一瞬車内の照明が消える。あれはつかの間のタイムスリップだった。
そして井の頭線に乗り換えて叔父の住む杉並に行く。
当時の私の家は裕福ではなくそうそう東京に行く旅費を出すことは出来なかった。だから祖母がやってくるのを心待ちにしていた。来ると分かってからはカレンダーにその日を書き入れ、指折り数えて待っていた。その日は授業が終わるや否や一目散に家に戻ったものだ。
そんな祖母が他界してからずいぶんと年月がたつ。祖母は叔父や母を連れて満州から引き揚げてきた。夫はシベリアの強制収容所で病死した。祖母はその労苦のためか脚が悪かった。その後女手一つで子供3人を育て上げた。残念ながら長兄は結核で若くして命を落としたが、二人を育あげた。晩年の祖母は経済的にも恵まれ多くの孫たちに囲まれて暮らした。
今でも不思議な事がある。いも羊羹とは別に祖母が買ってくるものがあった。私達が食べないから買わないように釘をさしていたにもかかわらず買ってくるのだ。それは浅草のデパートの地下で売っているお好み焼きだった。そのお好み焼きは粉っぽくて、卵はカラカラに乾燥して、キャベツはぼそぼそするとても美味しいとは言えない代物だった。しかし毎回買ってくるのだ。今思うと祖母にはお好み焼きに何か特別な思い入れがあったのかもしれない。今ではそれも聞くことは出来ないが、誰でも美味しいとか不味いとか、好きとか嫌いとか、そういうことではない心の中の特別な食べ物が存在するのだから、祖母だってあったのだろう。私にとってのいも羊羹のように。



テルアビブの闇


 その生き物は人々が眠りに就こうとする頃にうごき始める。

テレビでは選挙結果をくだらないコメンテーターの分析と一緒に流している。世の中にはこうしたどうでもいいことを自分がさも超能力者か預言者のように振舞い、それ見たことかと衆人を愚弄することでお金をもらい生活している人が居る。彼らもまた闇の住人か。

昨夜から降り続いた雨はあがった。道路の陥没は小さな水たまりとなって、黒い涙のように光り輝いている。東に延びる道路は湿っていて、まるで爬虫類の皮膚のようにぬめぬめしている。

街路灯の灯りがその表面を照らす。初冬だと言うのに空気は暖かい。

雨は全てを洗い流すといわれる。昨日の雨はそれとは違う。地表の襞にすこしづつ湿り気を浸透させている。天から潤いを受けたその体は少し重そうだ。

遠くで梟が啼く。とっくに南へ行ってしまった燕の巣が軒先に所在なさそうに残っている。

アマルガムを飲み込んだ蛙はもう鳴かない。不倶戴天、ルサンチマンの憎しみは風をとめた。油断してはいけない。この時間の闇は大きく深いから。






2013年1月19日土曜日

ステーキ 岐阜 潜龍 


ステーキ 潜龍 岐阜

 ステーキの美味しい店は数あると思う。値段を関係なしに言えば銀座の「かわむら」新橋の「麤」、汐留の「吾利欧」と都内には肉のスペシャリストが数多存在する。
この頃は歳のせいか脂の少ない赤身が食べたくなる。そんなときはアメリカに限る。日本にもルースズなどが出店しているが、アメリカ国内では大抵の店はどこに入っても旨い。最近出来たワイキキのBLTなんかはアメリカ風ではなくフレンチの繊細さを持っている。叔父に紹介されたハイズはキァベの香りがしてシックな内装の中、ライブの演奏も聞くことが出来満足度が高い。私が行った時にはアウディ木村がステージにいた。
そんな店とは正反対なのが岐阜の潜龍である。30年近く前、岐阜に赴任していながら敷居が高くて入れなかった。義父が岐阜に来た時に(??)初めて連れて行ってもらった。当時の私にはこの店の肉は衝撃だった。使用されている肉は飛騨牛と言っていた。
それから東京に戻り、潜龍のようなコースでステーキを提供する店に行く機会を得た。ただ確かに美味しいのだがあの時のような衝撃を受けなかった。何分、潜龍ではそれまで肉を吐き出していた娘が食べたのである。子供心に美味しい肉とそうでない肉を理解していたのかもしれない。そんな潜龍に昨年出掛けた。心待ちにした料理は私達には十分すぎる量だった。あれ、美味しいけどあの時の様な感動が無い。落ち着かない私を見透かすように、妻は歳を取ったのよと一言。そういうことかいつかは美味しいものも段々食べられなくなっていく。アボリジニの画家エミールウングワレーの絵のように徐々に混沌と・・・



人生はブーメラン

今年の正月から妻と諍いを起こしました。私は一泊二日で鎌倉に夜逃げしたのですが事の顛末をお話します。

私にも妻にもそもそも代襲と言う考え方はありません。いくら息子や娘と言ってもその仕事の適性はあるし、人が仕事を呼び仕事が人を評価するからです。

ましてや個人の能力なんて30年保持できれば恩の字です。だから、大企業は組織そのものが新陣代謝するのですから。

個人商店はもっと厳しい訳です。一代の経営指針が旨く引き継ぐ事が出来なければ会社をたたむべきです。

そんな事は百も承知の上、人生はままならないと思うことも事実です。

娘は岡崎に嫁ぎました。御主人は公務員です。普通ならば安泰でこれからも計画的、継続的生活が送れることでしょう。

しかし、色々な人を見てきた私としては、人間万事塞翁が馬と思えるのです。

人生なんて何が起こるか予想できません。昨日だって、大学時代の友人で一番、生真面目で確実な人生を歩んでいた友人から正月早々のエキセントリックいやいやドラマティックな実話を聞きました。

それと同じように人間の人生は決して静的でなく動的であり何が最適か、最良かなどと決めつけられないと思うのです。

娘や息子が自分たちの希望の通りの人生を歩む事が彼ら、彼女らの幸せとは限りません。

ブーメランのように遠くに言って、また戻ってきたり、本当に何がどうなるのか全く持って分からないのが人生です。

私が言いたかったのはそうした事が起こってもそれが私の人生だと楽しめる位に一所懸命に毎日を送ってほしいと思うのです。

こんなはずじゃなかったという言葉ほど私にとって心寂しい言葉はありません。

これも人生、あれも人生、オーママよ、それが心情なのです。






2013年1月18日金曜日

上かつ丼 材木座 土手


上かつ丼  材木座 土手

 材木座に通うようになった20年前にこの店も開店したと記憶している。場所は材木座商店が大きくカーブするそのおへその近くである。それ以来、20年近く通い続けている。
 おかみさんの横でよちよち歩いていた小さかった男の子が今や配達や厨房で働いている姿を見るとお互い歳をとったと痛感する。

 ここの麺類ははっきり言って普通である。これといって特に特筆するところはない。出前用の麺というのは伸び切らないような妙な腰がある。あれがいけない。

 ところがここの上かつ丼はそれらに比して中々である。あくまで私が薦めるのは上かつ丼である。天丼や普通のかつ丼ではない。上かつ丼である。私はカツに入っている豚肉の脂身が好きではない。どうしても残してしまう。ところがここの上かつ丼はヒレ肉を使う。だから残さなくて済む。それに揚げたて出来たてのそれは汁が熱々のご飯に染み込んでこれがまた旨い。客に媚びを売らないその姿がなんとも頼もしいのだ。

 刑事ドラマで犯人がかつ丼を食べながらつい自供してしまうのは理解できる。これを食べたら誰だってほっとして安心してしまう。つい本音が出るだろう。

 小さな頃、どんぶりをもってガツガツ掻きこむような食べ方をすると母親から犬食いだと注意された。我が家のゴールデンは確かに腹っぺらしでその兆候はあるが、さくらに限っては決して犬食いではない。それにかつ丼ばかりはどんぶりを持ってガツガツと食べていいと思う。人に不快な思いをさせなければ一番美味しく食べられる食べ方がその料理の一番良い食べ方だかと思うから。だって食は命の糧なのだからね。

 材木座は鎌倉の中でもローカル色が強い。地元の人たちが未だに元気で働いている。商店街の外れに位置する光明寺では定期的に市が催される。ここの山門は見事である。また蓮の池と枯山水の庭も有名だ。土手の2軒隣の萬屋酒店にはいつもお世話になっている。店をやっている時は中々手に入らない日本酒を回してくれた。ここは夕方からは立ち飲みバーになる。缶詰を肴に地元の人に交じって一杯やる。中々乙なもんだ。

土手の上かつ丼を食べると妙に落ち着くのはそういった記憶の襞が胃袋に吸い込まれるからなのかもしれない。納得。






マイブーム スキー

テレビのニュースで苗場スキー場の来場者が昨年より増えているらしい。

スキー場が子供のリフト料金を無料にしたりとハード面の工夫しているらしいが、一番の理由は80年代のスキーブームに育った30代前後の夫婦がもう一度スキーにチャレンジしたいという気持ちが大きいと思う。

雑誌ポパイでもスキーブーム復活と題してこの2月号を刊行している。

もっともあの長いリフト待ちに戻るのは嫌たけど、外国語しか聞こえないスキー場はやはり寂しいからスキー人口の増大は良いかもしれない。

私が幼稚園でスキーを始めたときは竹のストックに、木のスキーでビンディングはかかとに引っ掛けてパタンと前に倒すものでした。リフトでなくロープトウといもので手がパンパンになった。

小学校に入ると皮にコーティングした靴に替わり、竹のストックもジェラルミンに変わった。

その後、グライファイバーのスキー板が登場した。クナイスルという外国のメーカーのそれは高嶺の花だった。確かホワイトスターとか言っていた。これは買ってもらえなかった。

スキー場まで電車で2時間くらいということもあって、始めのうちは電車で通った。

中学の頃は友人と越後中里や石打など駅に近いスキー場に出掛けていた。

スキーの映画も会も市の文化会館という如何にもその手のフィルムを上映するのに適した場所で毎月開催されていた。スポンサーは市内のスポーツ店だった。

当然、上映会が終わると景品の抽選会があって、子供心にいつか当たらないかとドキドキした。

そのころの上級者と呼ばれる人は無理をしてもセーターで滑ったものだ。セーターで滑ることは転ばないという暗黙の了解でもあり、ゲレンデでは注目された。でも本当は寒かったのでセーターの中には風を通さない薄手のナイロンのシャツを着ていた。

パンツは今の様なダボダボではない。ニーパッドが入っていてピッタリとした伸縮性のあるものだった。

あの頃は難しいコブを如何に旨く滑れるか皆熱中した。丸池のAバーン、志賀のジャイアント、八方の黒菱、どこもそのコブの大きさは威容を誇った。今はスノーボーダーのためにほとんどのコブが均されている。

私がスキーをしていて遭難した人を2回見た。1回目は蔵王だった。同じ宿に宿泊していたグループが遭難した。翌日、大規模な捜索が開始され全員助かった。

2回目は天神平、春スキーだったがマチガ沢にまだ雪崩が起こる前で、危険なので封鎖されていた。私達とすれ違った3人組はロープをくぐって滑り降りて行った。途中で大規模な雪崩に合い、全員死亡したとニュースで知ったのは翌日だった。

このところ密かなマイブームなのだが、中々行けない。それでも昨年は軽井沢、一昨年は志賀、その前の年はトマムに行っている。今年も何とか行きたいと画策しているのだが、身重の娘は出産で戻ってくるし、息子はLAに留学と何かと忙しなくいく機会がとんと来ない。

密かなマイブームとして胸の奥にその燈を消さないよう灯し続けるようにしよう・・・スキーボーイなのだから・・・





2013年1月17日木曜日

インド料理 市が尾 ラズィーズィ


インド料理 ラズィージィ 市が尾

 横山(横浜じゃなく)に住んでいると本当に美味しい料理屋が少ないとつくづく思う。つい先日も某ショッピングセンターに入っていた鰻屋が退店すると聞いた。もはや半径10キロ圏内うなぎを買えるところは無くなった。まさに鰻の真空地帯である。ますます寂しくなる。
 そんな不毛の横山でもインド料理はとびきり美味しい店がある。そもそもこの店は鴨志田にあった。いやいまもある。駅はどこも遠い。はっきりいって辺鄙である。店構えからして怪しい。裏手にある駐車場も小高い雛段の上にあり、一歩間違えると車か落っこちてしまう。そんなスリリングではあるが、味は正真正銘インドのそれですからご安心を。

 その2号店が市ガ尾に出来たのだ。これなら車の心配はいらない。

インド料理との出会いは会社に入ってからだ。私の生まれた街にはカレー店はあったがインド料理店はひとつもなかった。カレーもインド料理だろうとご指摘する先兄もいらっしゃるだろうが、そもそもカレーは日本で独自に発達した正真正銘の日本食であると私は断言する。学生のころに命の糧となったC&Cのカレーはまさにこれである。
それにナンを出すかどうかで決まる。ナンがメニューにあればほぼインド料理店と思っても間違いはなかろう。

 会社の先輩が赤坂のインド料理店で結婚式の2次会をした。この頃からインド料理店が増えて行ったような気がする。都内に住んでいる頃は赤坂のTBSの近くにあるモティという店に通った。ここのキーマカレーは格別だった。

 横浜に越してきてからショッピングセンターにインド料理店が入っていたので何度か食したが、残念ながら私の口には合わなかった。

 ラジィーズィの料理はどれも美味しい。自家製のナンは表面は香ばしく中は柔らかくてもちっとしていて美味しい。プラウンマサラという小海老と玉ねぎと野菜が辛目に味付けされたインド風のサラダと釜で焼かれたチキンもお薦めである。チキンはヨーグルトに浸かっているため柔らかくスパイシーだ。チキンティッカという名前だった。これが熱々の鉄板でキャベツの千切りの上に乗せられて出てくる。カレーはお好みに応じて辛さを調節してもらえる。一度大辛で注文した時があったが、辛い物大丈夫な我が家でも胃の中が火事になったので普通をお薦めする。我が家ではカダイプラウンというこれもまた海老の辛いカレーと中辛のホウレンソウカレーを良く注文する。考えてみるとインド料理との初めての出会いは新婚旅行の時だ。当時は政情が不安定ではなかったのでエアランカ航空はコロンボで一泊し、翌日目的地のモルディブへ飛んだ。そんな飛行機の2回出る機内食はどちらもカレーだったがこれがすこぶる旨かった。日本のそれと違っていてさらっとしていてしつこくない。そして着いた地でもカレー三昧の日々が待ち受けていたのだ。人生であれだけカレーを続けて食べたのはこれっきりである。それでもカレーが嫌にならないのだから、如何にカレーが愛され我が国民食となっているか証左である。あれインド料理の話でしたっけ??