忌野清志郎さんの訃報はすでに知ってのとおりですが、彼は声帯を温存し、抗がん剤で治療していました。時期を前後してSパパは日本では大変珍しい、声帯再建を伴う声帯除去手術を行ったのとはその時点で大きく選択肢を異にしていたのだなと感慨深い思いです。清志郎さんの選択がどうのとかいうつもりはありません。しかし、結果として今があるのだなと思うと人生のはかなさと今の大切さを思います。
ある人が「清志郎さんは人間のいびつなところを全部認めていた」といっていました。そうかも知れません、「反骨」という一言よりこちらの方が彼に合っていると思いました。結局は「認める」ことの優しさや奥の深さになるような気がします。
それと訃報がもう一つありました。高英夫さんが天国に行かれたようです。彼は日本のシャンソンの草分けで「枯葉」「雪の降る街を」など特に有名です。
歌などあまり歌わない父親がこの「雪の降る街を」を口ずさんでいたのを記憶しています。多くを語らなかった父親ですが、中国人の言葉を同時通訳できるほど北京語がうまかったのを記憶しています。
大陸では陸軍の諜報活動をしていたようで使用人も7.8人の大きな邸宅で暮らしていたようです。
今でいう馬族とも繋がりをもって北満の荒野で一番輝いていたのかもしれません。
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