情動と情緒どちらも同じ意味なのです。しかしながら人から「あなたは情動的だ」と言われれば批判されたように感じるし、「あなたは情緒的だ」と言われれば「ああそうですね」となります。
これはたぶんに日本人の精神構造の根底に澱のようなものがそうさせているような気がします。
ある方が台北、故宮博物館の白菜の展示物を見て「何でいいのか分からない」と言っていた事を思い出しました。きっと、その逆にあちらの人は長十郎作の黒楽を見ても「何がいいのか分からない」かもしれません。
つまりカントの言う「美とは目的なき合目的性」に他ならないものでありますのでしょう。
明日から、京都の嵐山です。そのあたりも検証してまいります。
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