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2010年7月27日火曜日

京都大学霊長類研究所 「レオ」

京都大学霊長類研究所で飼育されているチンパンジーの中に肢体が麻痺して2年半も闘病を続けている「レオ」君というチンパンジーがいるそうです。

その飼育をしている人がチンパンジーには「絶望」はないという話をしていました。

絶望」や「希望」は人間だけが持つもので、チンパンジーは今=現在を生きているのみだからだそうです。いうなればコインの裏と表。

人間は過去や現在を照らして未来を予想します。

「坂の上の雲」ではありませんが、明治の頃には欧米の文明に追いつこうと言う「希望」がありました。

昭和30年頃には「ALL WAYS 三丁目の夕焼け」にあるような高度経済成長による消費の拡大で「アメリカのような暮らし」という「夢」がありました。

今はとうでしょう?どこを見ても「希望」も「夢」もありません。考えれば考えるほど「絶望」が顔をのぞかせます。国民が現実を逃避して、今しか見ないのだとしたら「チンパンジー」と同じです。

この国はどういう国になるのでしょう。私の代はまだ良いです。娘や息子の時代が気にかかります。

市長を辞職し、国政に舞い戻りながらも、愛人問題で裁判をしているどこぞの人やセクハラで話題になったZ市長、文房具の購入で裏金を作った官吏のように、この国の政治家官僚には矜持というものがないのでしようか、嘆かわしいことです。それでいて神奈川フィルの活動予算は事業仕訳でカットされるんですからSパパでなくても怒ります。

これ以上考えると「絶望」の前に「怒り」で体温が上昇しそうですからやめておきます・・・・・

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