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2011年5月24日火曜日

パンのための学問

最近の私立大学の多くは大学としての教育より専門学校と言った方が良いような学部学科を作っています。

どこの大学とは申しませんが国際人間学科とか総合文化生活学部とか何を教わるのか分からないような学部が多々あります。

一様に社会からの要請と内部の方は申しますが、大学の教育の本質はそんな時代や社会の要請に基づいて作られるならばこんな脆弱なことはありません。

本来、大学の教育とは「いつ使うか分からない知識を身につける」ところだと思うのです。実学とは違います。実学一辺倒、これでは全うな頭脳は育ちません。

偏見語として鐙頭という言葉があります。後頭部の出っ張った頭のことです。でもこんな教育を進めると片寄った頭ばかりになって、鐙頭のごとき応用力がつきません。

マルクスもケインズも実際の社会で役に立つ人などほんの一握りです。ヘミングウェイもロストジェネレーションの作家の作品も同様です。

でも50歳を過ぎてこんな青い話の時に、一人門外漢ではつまらないものです。

教育とはそんな無駄のために必要なものなのです。そうでないと「ゼロではない可能性がある・・・」が口癖のように人のように状況を俯瞰的に捉えることも出来なくなってしまいます。

パンのための学問はするな・・・私の口癖です・・・・・・・

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