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2011年8月2日火曜日

発想の枯渇 

日本人の矮小化について述べましたが、発想についても枯渇していると思われる例を多く見ます。

マスコミがエコだと囃したてれば、すぐにエコ商品に飛びついたり、燃費が良いからあまり走っていない車をエコカーに買い替えたりするのは果たしてエコなんでしょうか?

車なんてどんなものであうとも非経済的だと宇沢弘文氏は「自動車の社会的費用」の中でずっと前から述べていました。

茨城県に住む設計士さんが古いセルシオの屋根に荷台を付けて芝生を貼って走っていました。

なんでも室内の温度は低くなるそうですが、古い乗用車の車重を重くして、燃費が悪くなりこれって結局エコなんでしょうか?まあこれはセンスの問題もありますけど考え方が矮小です。

ゴア氏が「不都合な真実」を上梓したときも、その内容を見てマスコミが取り上げる回数が増えるにつれ、反比例して本当にそうなのか私は懐疑的でした。

そもそも地球温暖化は正しいのか?温暖化は人知において防止することが出来るのか?

太古の昔、巨大隕石が地球にぶつかり、膨大な二酸化酸素を発生させ、その雲の作用で地球上の温度が上がったときが温暖化のマックスという別の証拠もあります。

こう考えるとリテラシーを持つとは疑ってみる心です。

どうも日本人は先生という言葉に弱い。先生が言ったこととなると疑いもせず信じてしまう。

息子が面白い事を言っていました。

私は完結した、一冊の読み物のような本を書く人は学者ではないと思ってしまう。何故ならアカデミズムは絶えず自分の理論を疑う心が無ければ成長しないからだ

なるほど頷けます。「動的**」「バカの**」読み物としては面白いけど、そういうことですか・・・・

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