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2011年8月3日水曜日

死の哲学 膵臓がん

妻の友人が末期の膵臓がんにかかっている。

妻とは縁があって他の人より半年勉学に勤しんだ(留年?)間柄である。

2年前に同じく直腸結腸の癌で亡くなったT先輩とも独身の時に一緒に芝公園のプールにもいったことがある。

私達の結婚式にも出席し、大学の同期のO氏ともよく話していた。

そんな彼女はアイルランド系のアメリカ人と結婚したが、結局子供に恵まれず、数年前に離婚していた。

若い時の彼女は特に笑い顔がチャーミングで、箸が転げただけで笑っていた。

彼女は今、洞爺湖で療養している。余命半年と告げられてから1カ月。

彼女は最初他人事だと思っていたようだ、しかし、時間とともにその現実を受け入れ、必死に理解しようとしている。

息子の医学の本に書いてあったが、誰しもそうした魂の変遷をたどるようだ。

悔いのない人生などない、どんなに好きなことをやってももう少し生きていたと誰しも思うのだ。

彼女に対して如何に我々は無力か、現在の医療が如何に儚いものなのか強く感じる。

洞爺湖に行くも良し、帰郷して抱き合うもよし、同じ時間を生きた戦友として何もできないまでも彼女の恐怖や憤懣に共感してやるが良い。

我々もいつかかならずそちら側に向かうのだから・・・

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