新陳代謝といっても人間のそれではない。街のお話。
三浦展氏が著書「家族と郊外の社会性」でも郊外の街がもつ脆弱性については触れられていたが、私の住む田園都市沿線はまさにそんな郊外の一つ。
いち早く開発の始まった駅周辺程この傾向が強い。
青葉台の東急百貨店に午前中に行くと、まさに老人だらけ、よくもまあ同じような年齢の人が来ている驚かされる。
家の近くの東急分譲地も同じような作りの家が立ち並び住んでいる人も同じような年齢層の人達である。
子供たちは外に出て孫との同居も少ない。
そうした街は人間の新陳代謝が著しく犯されている状態である。
自分とは異質なものを受け入れない、老害である。
老害から立ち直る秘訣は「受け入れること」である。
ある知識人が情報の階層化と情報の劣化について述べていた。確かにそうかもしれない、並列的情報の発信が可能になった現在、情報の質を見極めるのは蓋し難しい。しかし、それを釘づけにして発信を制御することは従来の情報の片務化を揺り戻す愚挙に等しい。
「受け入れ」「吟味し」「選択する」これしかないような気がするのだが・・・・老害の街においてはもはや無理な課題か・・・・
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