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2011年9月14日水曜日

白樺湖  

高校2年になったヨシヒコはクラス替えがあった。ミチヒコとは昨年の夏以来疎遠だったが、クラスが変わりその度は増していった。ヨシヒコはそのクラスで生涯の友となる友人と出会う。

ヒサオとタカシだ。後にシゲオも加わる。

この頃、ヨシヒコは国語の成績が上がり始めたものの、数学はさっぱりで何となく自分は文系かなと思っていたが、受験勉強にのめり込むでもなくぼんやりした日々を送っていた。

タカシは理系志望だったが、ヨシヒコやヒサオ同様、受験勉強にはまだ少し早いという感じだった。

そんな3人の気が合わぬはずがなかった。

授業が終わるとそれぞれの家に上がり込み、ギターでユニット宜しくフォークソングやビートルズを演奏したり、土日になると泊まり込みでマージャンをやったりした。よく家人が何も言わなかったものだ。

3人が良く通った「來来軒」は図書館の近くにあり、勉強の帰りに立ち寄った。勉強をしていた図書館より、黄ばんだ暖簾に書かれたその文字の方が今は印象に残っている。

夏になって、3人で小旅行をした。本格的に受験勉強に入る前のモラトリアムとでもいうつもりであったのか定かではないが、行き先を信州にした。隣県で近いこともあるが、ギターや歌を歌っても叱られないような広いバンガローが多く存在したことも選んだ理由だった。

白樺湖は涼しかった。隣県と言えどヨシヒコの住んでいるK市は関東平野の北に所在し、夏暑く、冬は寒い。ここの冷涼な気候ならばどんなに勉強が捗るだろうと一瞬思ったが、それはそれでやりたいことが次々湧きだして受験勉強どころではなくなってしまうと、目の前の描写をかき消した。

何故、あのときおそろいのサロベットにしたのか未だに分からないし、今となっては穴があったら入りたいほど恥ずかしい恰好であったとヨシヒコは思っていた。いかにもフォークギターにサロペットという安直な発想と似合ってもいない姿を重ね合わせることが当時の彼らには出来なかったし、する必要もなかったのだ。

3人は何となく自分たちの夢を語り合った。ヨシヒコはぼんやりと当時、担任の国語の先生のような教師も良いかなと思っていたが、大方はテレビで放送された生徒に人気のある熱血教師を憧れたことか原因だった。タカシは医者になって、無医村のところで診療所を開きたいといっていた。ヒサオはカタカナの洒落た名前をいっていたが二人には良く分からなかった。

翌日、霧が上がった湖畔で3人組の少女たちと知り合いになった。彼女達は今日、東京に帰ると言う。ひとりの女の子はエリコといった。髪の短い、眼のくりくりした可愛い子だった。
もうひとりのジュンコは肩に髪が掛る程度の色白の子だった。話す時に手を耳に当てる癖があった。チヒロは3人の中で一番目立たない子だった。髪の毛をポニーテールにしていたがいつも下を向いていた。3人ともあかぬけていた。

二人の少女たちは高校を卒業したら看護師を目指していると言っていた。そのために近くの短大に通うらしい。チヒロは関西の大学に進むみたいと他人事のように言っていた。今は親の仕事の関係で叔母のところから高校に通っていて、大学は親がうるさく戻ってこいといっているらしかった。

6人は一緒にアヒルのかたちをした奇妙な足こぎボートに分乗して、スピードを競ったり、貸出小屋から見えない外れでお互いをぶつけあったりして遊んだ。

しらぬまに3カップルになっていた。ヒサオはエリコ、タカシはシュンコ、ヨシヒコはチヒロだった。

6人は全員の写真以外にそれぞれのカップルの写真を撮り、現像したら送る約束をして分かれた。

西の空に茜色の夕焼けが夏の終わりを告げようとしていた。山際を飛ぶ烏がそうであるように、ヨシヒコはこの二人の友を得て、帰る道を見つけ始めていた。

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