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2012年3月16日金曜日

追悼 吉本隆明

吉本隆明氏が逝去した。あの人は100歳になっても200歳になっても死なずに己の好き勝手なことを言っていると思っていただけに残念。黙祷。

氏の著作は数あれど最近は「真贋」など比較的穏健な思想もあれど、氏の行動をたどると氏の本性ともいうべき鋭い刃の短剣のこどく、物事を切り裂いていく姿があらわれる。時には自身も傷つきながら。

私が氏の著作を読んだのは17歳の春だった。

当時、政治や思想に歌舞きかけていた少年が、当時の高校では珍しい京大出身の若い現国の担任に共産主義や社会主義のことを学ぶためにどんな本を読んだら良いか質問した時、先生はこの吉本隆明氏の「転向論」を貸してくれた。

そこで17歳の少年が目にしたものは、誰もが口をつぐんで話そうとしない物事つまり闇の部分を白日の下にさらして堂々と批判している吉本の姿だった。

少年はそれ以来共産主義にも社会主義にも距離を置いて冷めた目で見るようになった。

もうひとつ、氏の著作(著作というより論戦)で当時のインテリゲンチァアを厳しく批判していた、中でも丸山眞男氏のそれは先鋒だった。

最近、読み直し再考している丸山眞男も、こんな吉本との論戦があったために、私の中では隅に追いやられていたのかもしれない。

構造主義の哲学者にも手厳しかった、彼らを一刀両断し、話していて理解すべく事の亡き輩とまで言っている。ドゥルーズに至っては「イスラム原理主義が大切なんて、何ほざいているのか、そんなの関係ない」と一蹴している。

氏はこうした西洋的思考の限界を観ていたのかも知れない。一元論的思考、絶対主義的思考、こうした他者との卓越性を基とした思想はヒトラーの民族浄化の思想と何ら変わることの無いものだと・・・

会社に入り、初めて光が丘団地を目にした時に、17歳の時に読んだ「転向論」が西陽の向うから立ち上がり、団地を被覆した。そうあのときにある思想と現実が一点で昇華したのだ。

巨星、落つる・・・・黙祷・・・

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