この本は精神科医の香山リカさんのお薦めの本です。
中々面白い内容です。自己愛も過剰になれば人格障害の一種ですから、社会的に不適応となることもありこれはこれでまあ良いのですが、この本に書かれているような丁度境界上にあり、一見すると普通の人が強い自己愛を包しており、本人もそれを自己愛と気づかないケースがやっかいなのであります。
よく、子供は親を超えてとか昔の人は言っていました。でもね、今の社会徒弟制度でもあるまいし、どの部分で比較するのかしらん???と思ってしまいます。存在空間の次元が違うのです。
東京大学の入学式で安藤忠雄氏が子供に一人旅をさせて、親は子供から離れなさい(精神的に)
と強く言っていました。本当にそう思います。私に至ってはあの入学式の出席は子離れの儀式のつもりでもあり、子供を俯瞰してみることを自身に約束したものでもあります。
何故、親は背中を見せるだけでいいか分かりますか?
それは正面から見ていたら影響が強くて、子供の発達に良い影響を与えないばかりか、自立しないからです。だから背中程度で良いのです。
私の知り合いの多くの個人事業主はその事業を子供に継承したがります。そんな親と子供に限って二世特有の人生を歩み、子供が死ぬ間際に「俺はそんなはずじゃなかった」の言葉を残すものです。
個人事業主に限ったことではありません。サラリーマンでも多くの専業主婦は夫という潜望鏡を通してしか外(世間)を見ていません。いや、サークルや友達との関係もあるからそんなことは無いと反論する向きもおありでしょうが、所詮、お金の関わりの無い社会とそうでない社会は異なるのです。
こうした主婦は夫の向うにある社会が全てだと思っているのです。ここで理知的な人ならば「それ以外の社会」があることをうすうす知り得ているのです。うすうす知り得ているので恥ずかしながらその社会に限定することを避けるのです。一方、自己愛が過剰な場合、その「それ以外の社会」はないものとして否定します。つまり、うすうす知り得ていることを否定してしまうのです。これは否定の肯定つまり自己否定を最初から回避する行動です。
こうした傾向は、またたくまに子供に伝播します。子供は親に言われたようになるために他の道を閉ざして一生懸命に努力するのです。親の道をそのまま脇目もフラズニただ歩き続けるのです。
人生は山あり谷ありですが、どんどんと谷を下っていった人間のお話をします。
彼は有名大学を出て、マスコミ志望でマスコミに合格しました。そうこう勤めているうちにあるトラブルに巻き込まれ退職を余儀なくされ、しばらくして別のマスコミに再就職しました。
そこで数年勤めたものの今度はリストラされました。
彼はそのたびに「俺はこんなはずじゃなかった」と言い続けていました。しかし、すでに40歳を過ぎていた彼を拾ってくれるところなどなく、それ以来ずっとアルバイトで生活を食いつないでいると聞きます。
考えてみて下さい。ユニクロもアップルも、楽天もグーグルも私たちが就活しているときには無かった企業です。
今大企業だからと言って将来も安泰と考えるのはお門違いです。それよりも自分が採用された企業こそ縁のある企業と考え、「こんなはずじゃなかった」ではなく「縁あって採用してくれた企業」と捉えて楽しく、元気に生活をすることをお薦めします。そうすれば自ずと幸せは訪れてきます。
幸福も災難もすべてひとりでにやってくるのではない。どちらも人が連れてくるものなのだよ(客家格言)
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