レンの家族が住む家は三島といっても山の高台にある。
天気がよければ富士山も見える。三島からは相当登らなければならない。町は見晴台。
こういう坂道には電気自動車はあまり強くない。レンはモーターは一定の出力のため重力が大きくなると慣性の法則が成り立たないと何かの本で読んだことを思い出した。
レンの父親は口癖のように「医者といっても開業医でなく、俺みたいにあっちの病院、こっちの病院と転勤しなければならないような人間には定住する家はいらない。家を買うときは医者を辞めるときだ」と言っていたのに、葉山からここに移る本当の理由は自転車に乗るためだったから少し頭にきた。
レンの父親は10年前からロードバイクにはまり、車など全く興味の無い人間なのに、自転車の話をするときには目を輝かせていた。父のバイク(ロードバイクを乗る人は自転車をこういう)はフランス製のカーボンバイクだ。なんでもそのメーカーはカーボンバイクのパイオニアとの父の説明だった。
ここ三島は「峠好き」にはたまらないロケーションだ。何分、箱根の峠という峠がその対象なのだから。
レンにはなんであんなにただ辛いだけの上り坂が好きなのか全く理解できなかった。
トヨタのハイブリットカーは音も静かで、家の前にすーと到着した。
レンがチャイムを鳴らすと、母が迎えに出てきた。母は真っ赤なエプロンをして、うっすらと化粧をしているようだった。
この母はレンの実の母ではない。義母なのだ。実の母レンが10才のとき行方不明になってしまった。父は当時、あちこちを探し回ったが、色々な話からどうやら他の男と家出をしたらしいということを聞くに及んで、探すことを止めてしまった。レンは母にはもう会わないと子供心に決心した。
それから家では母の話をしなくなった。
一度だけ母が住んでいると聞いた埼玉のK市に、レンは電車を乗り継いでこっそり会いに行ったことがある。そのときの母は娘と思しき小さな女の子と家の前の公園で遊んでいた。レンを見るやいなや駆け寄り、千円札数枚をレンに渡して「旦那がすぐ来るから帰って、お願い」といわれた。
レンは千円札を投げつけると、後ろも振り返らずに駅に向かった。信号も看板も滲んで見えなかった。
それ以来母はレンの心からも記憶からも消去された。
父が今の母をレンに紹介したのは15才のときだった。彼女はレンのために子供の好きそうなハンバーグやから揚げを作ってはレンの機嫌をとろうとした。
レンは義母のことが嫌いではなかったが、父と二人だった頃の納豆、めざし、やきそば、冷奴の食事に慣れていたので、レンのことを気に留めたそんなメニューは気が引けた。
そんなこともあって、レンは残ることにしたのだ。
義母はレンに向かって「そのお嬢さんがレイさんなのね。綺麗な方ね」笑顔とは裏腹につま先から頭まですべての情報をインプットするかのような視線で見ていた。
レンが「親父は何時頃帰るの」と目線を遮るかのように聞くと、義母は「今日は早く帰るって言っていたからもうじきだと思うわよ。それより、お嬢さんにお先にお風呂にでも入ってもらったら 疲れたでしょ」となかば決め事のように強引に催促した。
レイは「私はまだ結構です。お父様にお会いする前にお風呂なんていただけません。レンさん入ったら」とレンの目を見ながらレイは顕かなNOのサインを送ってきた。
「うん、俺運転で疲れたから入ろうかな」と風呂場に向かって立ち上がった。
この家は中古の住宅を買ったので、ところどころに当時のインテリアが残っていた。竣工したのは今から30年前。購入してから壁紙と床、台所とトイレは改装したのだが、風呂はそのまま使っている。だからいまどき使わないようなピンクの壁タイルやシチリアの海に炭を混ぜ込んだような濃い色の浴槽もご愛嬌だ。
風呂場の窓を開けると西の空に茜雲が見えた。季節は夏から秋に移ろうとしていた。
湯上りに義母の出してくれた枝豆とビールをレイと一緒に食べた。なんでも家の近くの農家の人が父の患者さんで、自宅でとれるダダチャ豆を毎日のように持ってきてくれるのだという。
レンが東京で食べる水っぽい枝豆とは全然違う。確かに旨い。ただビールの冷えが足りないことがレンには不満だったが、父が冷たい飲み物が苦手で、ビールの適温は12度という訳の分からないこだわりをもっていたことを思い出した。
店で頼むビールは12度以下なのて゛少し待ってから父は飲んでいたが、レンはこれじゃ炭酸が抜けちゃうとそのこだわりには不満だった。
しばらくするとキィーキィーという自転車のブレーキの音がして父が帰ってきた。ヘルメットを脱ぐと、父がレンを見て「おっ」というまもなくレイを見て「よくいらっしゃました」と頭を下げた。
あれたげ髪の毛の量が多く、剛毛だった父の頭も少し禿げあがったようだ。
父は「シャワー浴びてくるから食事の用意をしておいてくれ」と義母に言うと風呂場に向かった。
風呂場から父の十八番のアリスの歌が聞こえてきた。義母は「いつもこの歌なの。毎日嫌になっちゃう」とまんざら嫌でもないわという高揚した声でレイに向かっておどけてみせた。
レイは「楽しそうですね」とにっこり笑って答えた。
父が風呂から上がり、母の得意料理、鳥のから揚げを筆頭に近くで取れた、とうもろこし、水ナスの漬物、もずく酢が並んだ。
父はうまそうに焼酎のロックとビールを交互に口に運びながら、平らげた。
レンはレイのことを紹介し終わると、自分の今の状況や専門課程を選ぶ時期で自分が迷っていることなども父たちに話した。
父は一言レンに向かって「医業も一般の会社でも同じだよ。理想ばかり追っていてもその理想も変ってしまう。それは自分も変るからなんだよ」
そして父は続けて「今俺はほとんど心臓外科の手術はしていない。目が悪くなったんだ。でもそんなことはじめたときは考えもしなかったよ。心臓外科医といえばエースだとちやほやされて何か勘違いしていたのかもしれない。でも今こうやって新たに心療内科の勉強しているんだ。このあたりの患者には老人が多く、外科医が内科の勉強をするんだから可笑しな話だけど、あの人たちを見ていると必要だと感じたんだよ。だからここでは1年生さ。」と笑いながら焼酎を飲んだ。
レンは葉山にいたころ父が悩んでいたことをはじめて知った。あれほどN先生の片腕とまで言われていた父が、その人生をかけた手術をあきらめてここに来ていたとは知らなかった。レンは心の滓が降りるのを感じた。義母に対する気持ちもすーっーと平らになっていく自分を感じた。
このブログを検索
2011年8月26日金曜日
さくら??? 本当はママ好き!!
さくらの右耳が爛れて薬をつけても一向によくなりません。頭をふるし、頭を撫ぜるだけでキャインと鳴きます。
あんなにほえるさくらなのにお客様にも無反応です。
早く病院に連れて行かなければと心配していたら。妻が帰ってきたら様子が違います。
ボールで遊んでとずっとおねだりをします。
元気、元気、つまりは妻が居なくて寂しかった????
セプは知らん顔ですが、犬とは分からないものです!!
あんなにほえるさくらなのにお客様にも無反応です。
早く病院に連れて行かなければと心配していたら。妻が帰ってきたら様子が違います。
ボールで遊んでとずっとおねだりをします。
元気、元気、つまりは妻が居なくて寂しかった????
セプは知らん顔ですが、犬とは分からないものです!!
マリブビーチ 材木座
夏の平日は逗子の駅前が渋滞するので、国道134号線を通って森戸方面に行くほうが早い場合があります。
本日は東京から大切なお客様がこの鎌倉ベースを見学にこられるのでランチをどこにしようか迷っていました。年齢的には気取ったフレンチやイタリアンより和食が良いのですが。
うなぎの「つるや」さんは駐車場がなく、本日は脊椎管狭窄で足に出ているお客様に加わり、わが社のアホタンT氏は階段で腱断裂をして身体障害者2名なのでここは駄目です。
二楽荘の排骨麺は美味しいのですが、ラーメンはないでしょう。
妻いわく、ピスカリアなら後から奥さんや娘さんにも教えてあげられるからいいんじゃない。とういう言葉を受けて。ピスカリアです。
予約入れなかったらアウトでした。鰯とウイキョウのパスタと万願寺唐辛子と赤いかのパスタです。前菜は6種類です。オクラのフリット美味しいです。アンチョビソースがグッド。
そんなお客様を乗せて134号線から材木座に出ると、その景色はあれ??あれ??
どこかの景色と似ています・・・・・・そう、そうマリブビーチです。
皆さん、そう思ってこのトンネル抜けてなだらかな大きく左に曲がる道を見ながら輝く海面はとても素晴らしい景色です。
この写真は小林昭さんが60年代に撮ったマリブの写真です。
そうか私はマリブの近くに住んでいるんだ・・・・新しい発見です。
本日は東京から大切なお客様がこの鎌倉ベースを見学にこられるのでランチをどこにしようか迷っていました。年齢的には気取ったフレンチやイタリアンより和食が良いのですが。
うなぎの「つるや」さんは駐車場がなく、本日は脊椎管狭窄で足に出ているお客様に加わり、わが社のアホタンT氏は階段で腱断裂をして身体障害者2名なのでここは駄目です。
二楽荘の排骨麺は美味しいのですが、ラーメンはないでしょう。
妻いわく、ピスカリアなら後から奥さんや娘さんにも教えてあげられるからいいんじゃない。とういう言葉を受けて。ピスカリアです。
予約入れなかったらアウトでした。鰯とウイキョウのパスタと万願寺唐辛子と赤いかのパスタです。前菜は6種類です。オクラのフリット美味しいです。アンチョビソースがグッド。
そんなお客様を乗せて134号線から材木座に出ると、その景色はあれ??あれ??
どこかの景色と似ています・・・・・・そう、そうマリブビーチです。
皆さん、そう思ってこのトンネル抜けてなだらかな大きく左に曲がる道を見ながら輝く海面はとても素晴らしい景色です。
この写真は小林昭さんが60年代に撮ったマリブの写真です。
そうか私はマリブの近くに住んでいるんだ・・・・新しい発見です。
2011年8月25日木曜日
三島 櫻屋
9月に国民休日法とか言う訳の分からない取り決めで出来た連休を巷ではシルバーウィークというらしい。
今年はうまく休めば7日になるという。
もっともレンが休めるのは2日間のみ。研究報告が大詰めをむかえようとしていた。
かねてよりレイが連れて行って欲しいと言っていた一泊二日で三島に行くことにした。
レンは友人の車を借りることにした。この友人は実家は同じ医者でも開業医で今年の連休は友人も一緒にイタリアに旅行に行くので、車は使わない。
ぶつけない、満タン返し、洗車有りを条件に借りることが出来た。
友人の車はトヨタのハイブリッドカーだった。何でも友人の父は「エコ」という言葉に弱く、買ったばかりのエアコンも「エコじゃないから」という理由だけで買い換えるようなに人らしい。
友人はうまくそのあたりをついて買ってもらったようた゛。
でもレンは実はそういう車が好きではない。ぬるっとした動き出しが爬虫類を思わせるし、車の音というのは心臓のリズムのようにある時には車の調子を伺うこともできるし、会話の間にこの音が入ることで親密な空間を幾分緩和してくれる気がするからだ。
車は小田原厚木道路に入り、伊勢原を通り越した。この通称「オダアツ」はネズミ捕りで有名な道路だ。
友人は買ったばかりのこの車を走らせた初日にこの道路で30キロオーバーで捕まった。
切符をきる警察官が「ありがとうございます」と言ったそうだ。
最短なら箱根ターンパイクで行くべきだが、タイヤメーカーの名を関して無料になったものの、寝不足なのに妙にハイテンションのレイのことが気になり、熱海ビーチラインを選んだ。それに早川で分岐する高架の道路が大きく右に曲がるときレイは飛行機に待っている気分になれることを知っていた。
熱海の市街地は閑古鳥が鳴いている。東洋のマイアミという錆びきった看板が過去の栄華をさらに物悲しくする。
車は小嵐町をぬけ、熱函道路を進む。
この道路は下りにはカーブが続くものの車の台数は少ない。
東京から一時間あまりでこの田舎の景色にかわる。
レイが目を覚ました頃には、車は狩野川近くを走っていた。
三島の駅前の楽寿園は今は市の管理する公園となっているが、ここは明治の造船王こと緒明菊五郎が私財を投じて確保した場所なのだ。
緒民氏はのちに台場に榎本武揚の助力を得も造船所を建設することになるのだ。
そんな公園を右手に見ながら、車は鰻屋の前を通りすぎた。
ふみきりを渡ったところの立体駐車場に車を止めて、少し戻るように鰻屋に入った。
よくみるとその鰻屋の脇に小さな川が流れている。
店に入ると昼食時を過ぎていたのにほとんど満席だった。二人は二階の大広間のような座敷に通された。
レンは窓の下の小川を眺めながら、三島が何故鰻屋が多いのか、レイに説明した。
でもレイは納得しない。
「だって湧き水が多いからというなら、安曇野や北海道もそうなの?なんかその理屈納得できないな。もっと他にあったんじゃないの。例えば肉魚禁止令かなんかあって、鰻は除外するとか」
レイは梅でいいと思っていたのに、レンが竹を頼んだ。折角なんだからというレンの強い勧めにレイは従った。でもうな重にはしない。うな丼である。うな重のあの重箱の隅をつつくという行為がレイは嫌いだった。嫌いというよりも、真っ白な丼ぶりの淵に鰻のたれのみが筋のようにのこり、残雪に春の進んだ景色を思わせるキップのよさが好きだった。
ほどなくして運ばれてきたうな丼は鰻は醤油の香ばしさが全体を包み込み、うなぎには旨味と滋味が交互に織り交ざった光り輝く衣のようにタレがまとまりつき、つやつやしたご飯にすっと味を沁みこませている。
二人は無言で食べ続けた。
食べ終わるとレイはレンに向かってペコリと頭を下げて「ありがとう、ごちそうさまでした。美味しかった」と言った。
レンはその姿があまりに可愛かったので、手を下に差し出して大きなヂェスチャーで「どういたしまして」と笑って答えた。
店の外では大きな籠に入れられた鰻が体をくねらせながら秋の日に金色に輝いていた。
車は高台のレンの実家に向かった。
今年はうまく休めば7日になるという。
もっともレンが休めるのは2日間のみ。研究報告が大詰めをむかえようとしていた。
かねてよりレイが連れて行って欲しいと言っていた一泊二日で三島に行くことにした。
レンは友人の車を借りることにした。この友人は実家は同じ医者でも開業医で今年の連休は友人も一緒にイタリアに旅行に行くので、車は使わない。
ぶつけない、満タン返し、洗車有りを条件に借りることが出来た。
友人の車はトヨタのハイブリッドカーだった。何でも友人の父は「エコ」という言葉に弱く、買ったばかりのエアコンも「エコじゃないから」という理由だけで買い換えるようなに人らしい。
友人はうまくそのあたりをついて買ってもらったようた゛。
でもレンは実はそういう車が好きではない。ぬるっとした動き出しが爬虫類を思わせるし、車の音というのは心臓のリズムのようにある時には車の調子を伺うこともできるし、会話の間にこの音が入ることで親密な空間を幾分緩和してくれる気がするからだ。
車は小田原厚木道路に入り、伊勢原を通り越した。この通称「オダアツ」はネズミ捕りで有名な道路だ。
友人は買ったばかりのこの車を走らせた初日にこの道路で30キロオーバーで捕まった。
切符をきる警察官が「ありがとうございます」と言ったそうだ。
最短なら箱根ターンパイクで行くべきだが、タイヤメーカーの名を関して無料になったものの、寝不足なのに妙にハイテンションのレイのことが気になり、熱海ビーチラインを選んだ。それに早川で分岐する高架の道路が大きく右に曲がるときレイは飛行機に待っている気分になれることを知っていた。
熱海の市街地は閑古鳥が鳴いている。東洋のマイアミという錆びきった看板が過去の栄華をさらに物悲しくする。
車は小嵐町をぬけ、熱函道路を進む。
この道路は下りにはカーブが続くものの車の台数は少ない。
東京から一時間あまりでこの田舎の景色にかわる。
レイが目を覚ました頃には、車は狩野川近くを走っていた。
三島の駅前の楽寿園は今は市の管理する公園となっているが、ここは明治の造船王こと緒明菊五郎が私財を投じて確保した場所なのだ。
緒民氏はのちに台場に榎本武揚の助力を得も造船所を建設することになるのだ。
そんな公園を右手に見ながら、車は鰻屋の前を通りすぎた。
ふみきりを渡ったところの立体駐車場に車を止めて、少し戻るように鰻屋に入った。
よくみるとその鰻屋の脇に小さな川が流れている。
店に入ると昼食時を過ぎていたのにほとんど満席だった。二人は二階の大広間のような座敷に通された。
レンは窓の下の小川を眺めながら、三島が何故鰻屋が多いのか、レイに説明した。
でもレイは納得しない。
「だって湧き水が多いからというなら、安曇野や北海道もそうなの?なんかその理屈納得できないな。もっと他にあったんじゃないの。例えば肉魚禁止令かなんかあって、鰻は除外するとか」
レイは梅でいいと思っていたのに、レンが竹を頼んだ。折角なんだからというレンの強い勧めにレイは従った。でもうな重にはしない。うな丼である。うな重のあの重箱の隅をつつくという行為がレイは嫌いだった。嫌いというよりも、真っ白な丼ぶりの淵に鰻のたれのみが筋のようにのこり、残雪に春の進んだ景色を思わせるキップのよさが好きだった。
ほどなくして運ばれてきたうな丼は鰻は醤油の香ばしさが全体を包み込み、うなぎには旨味と滋味が交互に織り交ざった光り輝く衣のようにタレがまとまりつき、つやつやしたご飯にすっと味を沁みこませている。
二人は無言で食べ続けた。
食べ終わるとレイはレンに向かってペコリと頭を下げて「ありがとう、ごちそうさまでした。美味しかった」と言った。
レンはその姿があまりに可愛かったので、手を下に差し出して大きなヂェスチャーで「どういたしまして」と笑って答えた。
店の外では大きな籠に入れられた鰻が体をくねらせながら秋の日に金色に輝いていた。
車は高台のレンの実家に向かった。
蝉の声 つばめ
通り雨に打たれたレイは頭も肩もびしょ濡れだった。レンはハンカチをレイに渡したが、レイは「すぐ乾くよ」と受け取らずメニューに目をやる。
レイは「今日は絶対キーマカレーにしようと決め込んできたのだけど、やっぱりこのカダイブラウンにする。こんな雨に打たれて蒸し暑い日には、思いっきり辛いカレーがいい。それに海老は大好物」
独り言をいうように、レイはメニューから目を離さないで話し続けた。
「私、今迷っているの、来年には就活だけど今年も来年もひどいみたい。こういうの就職難民って言うらしいの。私難民は嫌だもん、だから大学院に進もうか迷っているの、もちろん水彩画で食べられるとは思ってないの、でも何かもっと学ばないと、駄目な気がしてるの」
レンはやっとメニューに目をやりながら、あらかじめ決めていたように
「俺、ホウレンソウのカレー、モグモグ・・・なんたっけモグレイカレー」
と言い終えると、レイに向かって話し始めた。
「いいんじゃない。世の中モラトリアムなんて馬鹿げているといわれるけど、この歳で何をするかなんて決められないよ俺だっておんなじさ、俺はまだ2年、専門科目も始まったけど医師になるなんて全然自覚無いよ、教授から専門は何にするかなんて聞かれても分かりっこない。レイの病気を研究しているのは免疫系の研究室でまるで実験室のようなところ。あれ医者じゃないでしょって思うよね。それにそこの教授がなんていうか、医者じゃないんだ。禿頭で子供のような恰好で研究室のビーカーでコーヒー沸かして飲んでいる。俺ああいうところ駄目だな」とレンはレイのビニールの袋に目を落としながら言葉をゆっくりとつなげた。
レイはレンの言葉をさえぎり続けた。
「私は絵を描くことは好きだけど、なんていうのか限界感じちゃうの、天性のものかと思うほどはっとする絵を描く人に会うと、私なんかたいしたもんじゃないと卑下しちゃうの。だからもう少し何かを身につけなければと硬くなってしまうの。先生は私の絵は私じゃなく、水が仕事をしているから良い絵だと褒めてくれるけど私はちっとも釈然としないの」
二人のテーブルに大きな焼きたてナンと海老のカレ、ホウレンソウのカレーが運ばれてきた。給仕は流暢な日本語で「この海老のカレーとても辛いです。ホウレンソウは少し」と笑いながら伝えた。
ホウレンソウのカレーはホウレンソウとジャガイモの甘さが出ていてこくがあって美味しい。一方、海老のカレーことカダイブラウンは海老の旨味を十分に引き出し、それでいてスパイシーな香りが胃を刺激する、辛さが尋常ではない。一口含めば鼻から汗が噴出す辛さだ。二人はお互いの料理を食べ比べながらカレーの一滴も残さずナンを指のようにして全て平らげた。
店を出る頃には雨は止んでいた。どこからかヒグラシの声が聞こえる。
数羽のつばめが雨上がりの街路樹の間を縫うように飛んでいる。
レンもレイもこの時期につばめをみたことがあっただろうかと自分の記憶のもやいを引き寄せたが、はっきりとしたことは思い出せなかった。
レイは「今日は絶対キーマカレーにしようと決め込んできたのだけど、やっぱりこのカダイブラウンにする。こんな雨に打たれて蒸し暑い日には、思いっきり辛いカレーがいい。それに海老は大好物」
独り言をいうように、レイはメニューから目を離さないで話し続けた。
「私、今迷っているの、来年には就活だけど今年も来年もひどいみたい。こういうの就職難民って言うらしいの。私難民は嫌だもん、だから大学院に進もうか迷っているの、もちろん水彩画で食べられるとは思ってないの、でも何かもっと学ばないと、駄目な気がしてるの」
レンはやっとメニューに目をやりながら、あらかじめ決めていたように
「俺、ホウレンソウのカレー、モグモグ・・・なんたっけモグレイカレー」
と言い終えると、レイに向かって話し始めた。
「いいんじゃない。世の中モラトリアムなんて馬鹿げているといわれるけど、この歳で何をするかなんて決められないよ俺だっておんなじさ、俺はまだ2年、専門科目も始まったけど医師になるなんて全然自覚無いよ、教授から専門は何にするかなんて聞かれても分かりっこない。レイの病気を研究しているのは免疫系の研究室でまるで実験室のようなところ。あれ医者じゃないでしょって思うよね。それにそこの教授がなんていうか、医者じゃないんだ。禿頭で子供のような恰好で研究室のビーカーでコーヒー沸かして飲んでいる。俺ああいうところ駄目だな」とレンはレイのビニールの袋に目を落としながら言葉をゆっくりとつなげた。
レイはレンの言葉をさえぎり続けた。
「私は絵を描くことは好きだけど、なんていうのか限界感じちゃうの、天性のものかと思うほどはっとする絵を描く人に会うと、私なんかたいしたもんじゃないと卑下しちゃうの。だからもう少し何かを身につけなければと硬くなってしまうの。先生は私の絵は私じゃなく、水が仕事をしているから良い絵だと褒めてくれるけど私はちっとも釈然としないの」
二人のテーブルに大きな焼きたてナンと海老のカレ、ホウレンソウのカレーが運ばれてきた。給仕は流暢な日本語で「この海老のカレーとても辛いです。ホウレンソウは少し」と笑いながら伝えた。
ホウレンソウのカレーはホウレンソウとジャガイモの甘さが出ていてこくがあって美味しい。一方、海老のカレーことカダイブラウンは海老の旨味を十分に引き出し、それでいてスパイシーな香りが胃を刺激する、辛さが尋常ではない。一口含めば鼻から汗が噴出す辛さだ。二人はお互いの料理を食べ比べながらカレーの一滴も残さずナンを指のようにして全て平らげた。
店を出る頃には雨は止んでいた。どこからかヒグラシの声が聞こえる。
数羽のつばめが雨上がりの街路樹の間を縫うように飛んでいる。
レンもレイもこの時期につばめをみたことがあっただろうかと自分の記憶のもやいを引き寄せたが、はっきりとしたことは思い出せなかった。
オムライス ことぶきや
今巷で洋食屋と名のつく店に入りオムライスを注文すると、ふわふわの卵でとろとろの中身が出てくるような高級なものが多い。
中にはケチャップの代わりにデミグラソースがかかっていたりする。
それに価格が高い、Sパパが言っていたように1500円を下限に2500円するものもある。
だから私は滅多ことではオーダーしない。
時折、時代遅れのガラスのショーケースにグリーンピースの見え隠れするサンプルが見えたりすると俄然嬉しくなる。でも出てくるものはチキンライスがジャーに入っていたようなパサパサのもので失意。
ずっと忘れていた名前を今朝思い出した。
子供の頃育ったK市の我が家の隣は中華も洋食も作る食堂だった。息子は東京の大学に行っていたが帰って父を手伝うようになった。
T大の空手部といえば泣く子も黙る猛者の集まりと聞くが、立派な体躯に比してその声は小さくはずかしがり屋だったと空ろに覚えている。
店の名前は「ことぶきや」だった。ずっと思い出せずにいた名前が、ふと目の前の霧が晴れるように今朝頭に浮かんだ。
私はここのオムライスが好きだった。卵は薄く、バリッとチキンライスを包む。チキンライスはケチャップとご飯の按配が丁度良く、鶏肉も申し訳程度に入っている。もちろんグリーピースも欠かせない。
紙ナプキンに包まれたスプーンを居てもたってもいられなくなりちぎり、卵をスプーンで割って食べる幸せは味憶に秘められたものだ。
あのオムライスどこかにないでしょうか?
写真は駒沢公園西口にある洋食屋ROMAMさんのランチチキンライスです。
これが一番近そうです。今度絶対に食してみます。
中にはケチャップの代わりにデミグラソースがかかっていたりする。
それに価格が高い、Sパパが言っていたように1500円を下限に2500円するものもある。
だから私は滅多ことではオーダーしない。
時折、時代遅れのガラスのショーケースにグリーンピースの見え隠れするサンプルが見えたりすると俄然嬉しくなる。でも出てくるものはチキンライスがジャーに入っていたようなパサパサのもので失意。
ずっと忘れていた名前を今朝思い出した。
子供の頃育ったK市の我が家の隣は中華も洋食も作る食堂だった。息子は東京の大学に行っていたが帰って父を手伝うようになった。
T大の空手部といえば泣く子も黙る猛者の集まりと聞くが、立派な体躯に比してその声は小さくはずかしがり屋だったと空ろに覚えている。
店の名前は「ことぶきや」だった。ずっと思い出せずにいた名前が、ふと目の前の霧が晴れるように今朝頭に浮かんだ。
私はここのオムライスが好きだった。卵は薄く、バリッとチキンライスを包む。チキンライスはケチャップとご飯の按配が丁度良く、鶏肉も申し訳程度に入っている。もちろんグリーピースも欠かせない。
紙ナプキンに包まれたスプーンを居てもたってもいられなくなりちぎり、卵をスプーンで割って食べる幸せは味憶に秘められたものだ。
あのオムライスどこかにないでしょうか?
写真は駒沢公園西口にある洋食屋ROMAMさんのランチチキンライスです。
これが一番近そうです。今度絶対に食してみます。
通り雨 ニコライ堂
レンは浪人していたころに叔母の家に居候していた。叔母は父によく似た顔つきで、話し方も父そっくりだった。
父は長野県のK市の出身である。あんずの里として有名な街だ。父はその街の農家の次男坊である。父の家は曽祖父、祖父、祖母、長男、次男、長女、次女、三女の七人の大家族だった。
長男は勉強が嫌いで、夕方遅くまで近くの山野を走り回っていた。一方、父は本が好きで幼いころから勉強が良く出来て、高校でも学年で上位にいて地元の国立大学の医学部にストレートで合格した。
そこそこ勉強の出来た叔母もほどなくして上京し、短大に進んだ。叔父と出会ったのはその頃である。
叔父は大学同士の合コンで意気投合し付き合うようになっようだ。叔母は短大を卒業すると大手のゼネコンに就職した。連れ合いは工学部の4年生大学だったので叔母より2年遅れて社会人となり、同じ建築会社に入社した。
もちろん人事部には二人が付き合っていた事を少しも漏らさぬように細心の注意をして面接に臨んだ。
会社の情報は叔母を通して筒抜けで、叔母は今でもそのことを持ち出し、あの人を合格させたのは私なのと嬉しそうに自慢している。
叔父は出会いの経緯は別として物静かな人で、建築会社といっても設計部の仕事なので内勤だった。趣味は読書と釣り。
長野県と言うのは教育県らしい、父の高校の進学率も高く、出来る子の家はそれを自慢にしていた。田畑を売ってでも子供を大学に入れるというのは、あながち嘘でもなさそうである。
叔父は残念ながら7年前に脳梗塞で急に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。前日まで市ヶ谷の釣堀でのんびり鮒つりをしていたというから叔母の落胆が伺われる。
叔母には二人の子供がいる。小さいときには良く遊んだが、年を重ねるごとに疎遠になってしまった。レンと年の近い一人は高校を卒業して大阪の建築会社に勤めている。大阪では社員寮に居るようで、わずかながら叔母に仕送りをしているという。
もう一人の子供は高校の頃、ISSという留学制度で渡米し、その縁でアメリカ人女性と知り合い、大学卒業後は彼女の紹介もあり、外資系の食品会社に就職し、アメリカで暮らしている。彼女との間に女の子が一人いる。アメリカからの仕送りは何分制度的にも面倒らしく息子は帰るたびにお金を叔母に置いていくようだ。叔母は叔父が掛けていた生命保険と年金で今でも十分な生活をしている。
友達とも良く旅行に行くようだが、飛行機が苦手で、電車やバスの旅行がほとんどで、息子に子供が生まれるときに手伝いにきて欲しいと頼まれたときはほんとうに困り果てたようだ。最後には外国人の奥さんもらうから悪いのよと悪態をつきつつ、しぶしぶ飛行機に乗った。
そんな訳で叔母の家は空き部屋も多く、叔母の寂しさも和らぐだろうと、父が提案したのだ。
叔母は喜んでその提案を受け入れた。お金は要らないと叔母は言ったが、父はそれはそれ、これはこれ朝食も食べるし、風呂にも入るんだからと半ば強引に取り決め、朝食付き1月5万円の東京での下宿生活が始まった。
朝食は叔母と一緒に食べたが、昼と夜は外食がほとんどだった。
予備校は御茶ノ水のS台だった。阿佐ヶ谷と言っても南阿佐ヶ谷は中央線の阿佐ヶ谷駅には遠く、バスで中野駅に出て乗り継ぐのが日課だった。
御茶ノ水という街は面白い街だ。となりの神田とはまるで違う。勤め人が居るにはいるのだけど、目立たない。では学生が多いのかと言えば、そうでもない。いくつかの私立大学はキャンパスを郊外に移したこともその原因かもしれないが、多くの学生がまちまちの時間にやってきて去っていく、そんな時間の集約の無さも一端を担うのかもしれない。
レンは予備校生のとき、バツの悪い経験がある。すずらん通りという小さな商店が並んだ小路が、大通りに平行している。レンは高校を卒業したんだからパチンコは問題は無いだろうと気晴らしに入ったその店で興味半分でタバコをすっていた。そのとき警察官に職務質問をされたのだ。レンはなんでと怪訝な顔で学生証を見せるとその警官は卒業しているかもしれないけど君まだ未成年だよ。今回は大目にみるけど駄目だよと言われたのだ。そのとき以来レンはタバコを吸っていない。
予備校のときよく食べにいっていた洋食屋がある。いつも学生で賑わっていたキッチンKだ。
レンが好きだったのはハンバーグ定食、ハンバーグもさることながら、玉ねぎとベーコンがケチャップで味付けされたナポリタンスパゲティが付け合せについているのが好みだった。
レンは改札を抜けるとニコライ堂を右手に見ながら坂を下った。右手に笹巻けぬきすしの看板が見える。この店は江戸時代から続いているお店のようで。父が御茶ノ水に行くと必ずお土産に買ってきていたのでレンはその味を良く知っていた。しっかりと酢で味付けされていて、お土産用にはこの塩梅なのだろう。
少し早くついたのでひとりで2階の店に入り、窓際の席に座った。スパイスの香りが鼻孔をくすぐる。
少しお腹がすいてきた。
店の窓から坂を見下ろすと人々が足早に建物に入っていく。通り雨のようだ、人々は背広や荷物を頭を覆いながら足早に建物に入っていった。その様子は蟻の巣に水をかけて逃げ回る様子に似ている。
坂の上から白いビニールの袋を濡らさないように大切にお腹に抱えて走ってくるレイを見つけた。
袋には「檸檬 画翠」と描かれていた。
レンはレイに手を振って合図した。レイは雨が目にしみるのか、上目遣いに やや目を細めてレンを見上げた。
父は長野県のK市の出身である。あんずの里として有名な街だ。父はその街の農家の次男坊である。父の家は曽祖父、祖父、祖母、長男、次男、長女、次女、三女の七人の大家族だった。
長男は勉強が嫌いで、夕方遅くまで近くの山野を走り回っていた。一方、父は本が好きで幼いころから勉強が良く出来て、高校でも学年で上位にいて地元の国立大学の医学部にストレートで合格した。
そこそこ勉強の出来た叔母もほどなくして上京し、短大に進んだ。叔父と出会ったのはその頃である。
叔父は大学同士の合コンで意気投合し付き合うようになっようだ。叔母は短大を卒業すると大手のゼネコンに就職した。連れ合いは工学部の4年生大学だったので叔母より2年遅れて社会人となり、同じ建築会社に入社した。
もちろん人事部には二人が付き合っていた事を少しも漏らさぬように細心の注意をして面接に臨んだ。
会社の情報は叔母を通して筒抜けで、叔母は今でもそのことを持ち出し、あの人を合格させたのは私なのと嬉しそうに自慢している。
叔父は出会いの経緯は別として物静かな人で、建築会社といっても設計部の仕事なので内勤だった。趣味は読書と釣り。
長野県と言うのは教育県らしい、父の高校の進学率も高く、出来る子の家はそれを自慢にしていた。田畑を売ってでも子供を大学に入れるというのは、あながち嘘でもなさそうである。
叔父は残念ながら7年前に脳梗塞で急に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。前日まで市ヶ谷の釣堀でのんびり鮒つりをしていたというから叔母の落胆が伺われる。
叔母には二人の子供がいる。小さいときには良く遊んだが、年を重ねるごとに疎遠になってしまった。レンと年の近い一人は高校を卒業して大阪の建築会社に勤めている。大阪では社員寮に居るようで、わずかながら叔母に仕送りをしているという。
もう一人の子供は高校の頃、ISSという留学制度で渡米し、その縁でアメリカ人女性と知り合い、大学卒業後は彼女の紹介もあり、外資系の食品会社に就職し、アメリカで暮らしている。彼女との間に女の子が一人いる。アメリカからの仕送りは何分制度的にも面倒らしく息子は帰るたびにお金を叔母に置いていくようだ。叔母は叔父が掛けていた生命保険と年金で今でも十分な生活をしている。
友達とも良く旅行に行くようだが、飛行機が苦手で、電車やバスの旅行がほとんどで、息子に子供が生まれるときに手伝いにきて欲しいと頼まれたときはほんとうに困り果てたようだ。最後には外国人の奥さんもらうから悪いのよと悪態をつきつつ、しぶしぶ飛行機に乗った。
そんな訳で叔母の家は空き部屋も多く、叔母の寂しさも和らぐだろうと、父が提案したのだ。
叔母は喜んでその提案を受け入れた。お金は要らないと叔母は言ったが、父はそれはそれ、これはこれ朝食も食べるし、風呂にも入るんだからと半ば強引に取り決め、朝食付き1月5万円の東京での下宿生活が始まった。
朝食は叔母と一緒に食べたが、昼と夜は外食がほとんどだった。
予備校は御茶ノ水のS台だった。阿佐ヶ谷と言っても南阿佐ヶ谷は中央線の阿佐ヶ谷駅には遠く、バスで中野駅に出て乗り継ぐのが日課だった。
御茶ノ水という街は面白い街だ。となりの神田とはまるで違う。勤め人が居るにはいるのだけど、目立たない。では学生が多いのかと言えば、そうでもない。いくつかの私立大学はキャンパスを郊外に移したこともその原因かもしれないが、多くの学生がまちまちの時間にやってきて去っていく、そんな時間の集約の無さも一端を担うのかもしれない。
レンは予備校生のとき、バツの悪い経験がある。すずらん通りという小さな商店が並んだ小路が、大通りに平行している。レンは高校を卒業したんだからパチンコは問題は無いだろうと気晴らしに入ったその店で興味半分でタバコをすっていた。そのとき警察官に職務質問をされたのだ。レンはなんでと怪訝な顔で学生証を見せるとその警官は卒業しているかもしれないけど君まだ未成年だよ。今回は大目にみるけど駄目だよと言われたのだ。そのとき以来レンはタバコを吸っていない。
予備校のときよく食べにいっていた洋食屋がある。いつも学生で賑わっていたキッチンKだ。
レンが好きだったのはハンバーグ定食、ハンバーグもさることながら、玉ねぎとベーコンがケチャップで味付けされたナポリタンスパゲティが付け合せについているのが好みだった。
レンは改札を抜けるとニコライ堂を右手に見ながら坂を下った。右手に笹巻けぬきすしの看板が見える。この店は江戸時代から続いているお店のようで。父が御茶ノ水に行くと必ずお土産に買ってきていたのでレンはその味を良く知っていた。しっかりと酢で味付けされていて、お土産用にはこの塩梅なのだろう。
少し早くついたのでひとりで2階の店に入り、窓際の席に座った。スパイスの香りが鼻孔をくすぐる。
少しお腹がすいてきた。
店の窓から坂を見下ろすと人々が足早に建物に入っていく。通り雨のようだ、人々は背広や荷物を頭を覆いながら足早に建物に入っていった。その様子は蟻の巣に水をかけて逃げ回る様子に似ている。
坂の上から白いビニールの袋を濡らさないように大切にお腹に抱えて走ってくるレイを見つけた。
袋には「檸檬 画翠」と描かれていた。
レンはレイに手を振って合図した。レイは雨が目にしみるのか、上目遣いに やや目を細めてレンを見上げた。
登録:
投稿 (Atom)
