通り雨に打たれたレイは頭も肩もびしょ濡れだった。レンはハンカチをレイに渡したが、レイは「すぐ乾くよ」と受け取らずメニューに目をやる。
レイは「今日は絶対キーマカレーにしようと決め込んできたのだけど、やっぱりこのカダイブラウンにする。こんな雨に打たれて蒸し暑い日には、思いっきり辛いカレーがいい。それに海老は大好物」
独り言をいうように、レイはメニューから目を離さないで話し続けた。
「私、今迷っているの、来年には就活だけど今年も来年もひどいみたい。こういうの就職難民って言うらしいの。私難民は嫌だもん、だから大学院に進もうか迷っているの、もちろん水彩画で食べられるとは思ってないの、でも何かもっと学ばないと、駄目な気がしてるの」
レンはやっとメニューに目をやりながら、あらかじめ決めていたように
「俺、ホウレンソウのカレー、モグモグ・・・なんたっけモグレイカレー」
と言い終えると、レイに向かって話し始めた。
「いいんじゃない。世の中モラトリアムなんて馬鹿げているといわれるけど、この歳で何をするかなんて決められないよ俺だっておんなじさ、俺はまだ2年、専門科目も始まったけど医師になるなんて全然自覚無いよ、教授から専門は何にするかなんて聞かれても分かりっこない。レイの病気を研究しているのは免疫系の研究室でまるで実験室のようなところ。あれ医者じゃないでしょって思うよね。それにそこの教授がなんていうか、医者じゃないんだ。禿頭で子供のような恰好で研究室のビーカーでコーヒー沸かして飲んでいる。俺ああいうところ駄目だな」とレンはレイのビニールの袋に目を落としながら言葉をゆっくりとつなげた。
レイはレンの言葉をさえぎり続けた。
「私は絵を描くことは好きだけど、なんていうのか限界感じちゃうの、天性のものかと思うほどはっとする絵を描く人に会うと、私なんかたいしたもんじゃないと卑下しちゃうの。だからもう少し何かを身につけなければと硬くなってしまうの。先生は私の絵は私じゃなく、水が仕事をしているから良い絵だと褒めてくれるけど私はちっとも釈然としないの」
二人のテーブルに大きな焼きたてナンと海老のカレ、ホウレンソウのカレーが運ばれてきた。給仕は流暢な日本語で「この海老のカレーとても辛いです。ホウレンソウは少し」と笑いながら伝えた。
ホウレンソウのカレーはホウレンソウとジャガイモの甘さが出ていてこくがあって美味しい。一方、海老のカレーことカダイブラウンは海老の旨味を十分に引き出し、それでいてスパイシーな香りが胃を刺激する、辛さが尋常ではない。一口含めば鼻から汗が噴出す辛さだ。二人はお互いの料理を食べ比べながらカレーの一滴も残さずナンを指のようにして全て平らげた。
店を出る頃には雨は止んでいた。どこからかヒグラシの声が聞こえる。
数羽のつばめが雨上がりの街路樹の間を縫うように飛んでいる。
レンもレイもこの時期につばめをみたことがあっただろうかと自分の記憶のもやいを引き寄せたが、はっきりとしたことは思い出せなかった。
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