日に焼けたしなやかな腕をたわませて、その女性はディンキーのロープをつかみ、艇を風の吹く方向にまっすぐに走らせた。
この地方の漁師は西風を嫌う、春の間吹き荒れていた風が南風(はえ)に変り季節は夏を告げていた。
レイがレンとはじめたあったのは3年前の夏の日だった。
レイの病気はとても珍しい自己免疫疾患で、簡単に言えば自分が自分の体を攻撃し痛めつけるやっかいな病気だった。その治療前の数週間をここ葉山で過ごしていた。
医療技術の進歩で、当時開発されたばかりの新薬の治験が功を奏して、レイの体は徐々にもとの体に戻っていった。
そんなレイはその後美術大学に進学し、水彩画を専攻している。ディンキーをはじめたのは今まで病気におびえて何も運動らしい運動をしてこなかった自分に勇気を与えるためだった。
艇は白い灯台を迂回し、岩の上の鳥居を右手に見ながら正面から風を受けて疾走している。
レイのしなやかな長い髪の毛は少しだけ日に焼け金髪になっている。
もともと端正な顔立とすらりと伸びた手足で、周りから「ハーフ」と聞かれることも多かったが、レイはそういわれることがあまり好きではなかった。
レイの通う学校は高円寺にあり、下宿もその近くに借りた。週末の2日間だけここにやってくる。
ここ森戸海岸は多くの大学のヨット部が集まる。レイの艇もそんな学校艇庫にあるものだった。
レイは海から見る陸の景色が好きだ。小さなころ家族でハワイ旅行をしたときに、父親に連れて行ったもらった遊覧船でワイキキの街を見ているとき、あれほど旅行中、嫌だった、ワイキキの街独特の喧騒と猥雑さが海に消されて、美しい景色に変わったのが子供こごろに魔法をかけられたような気がしたからだ。
濃い緑の岸壁の上に雲が流れていった。無数の鳶が行く夏を惜しむかのように自由に舞っていた。
レイの携帯が着信を知らせた。いまは防水携帯という便利なものがあり、あまけにGPSまで着いているので、ギィンキー乗りには必携だった。
声はレンからだった。「今日はいけない。コメン、実験が長引いちゃって土日も学校なんだ。レイ、週明けの水曜日あたり会わない」
「いいよ、私も授業があるから、抜け出せるのは二限と三限の間だけ、場所は御茶ノ水あたりでどう?」
「OK・・・大学の生協では取り寄せられない本があって、三省堂に行くつもりだったからちょうどいいよ」
レンの父親は心臓外科医でその当時は葉山にある病院に勤務していて、一家は森戸海岸近くの一軒家を借りていた。今は三島の病院に転勤し、一家はレンを残し富士山の良く見える三島の小高い丘に居をかまえた。レンはひとり残り、一浪して父親と同じ道を選んだ。レンはもともと医学には何の興味も無かったが、レイの病気のことで気が変わった。
だからレンはレイよりひとつしたの大学三年生、大学の近くの木造下宿は菊坂にあった。多くの文豪が住んだ街としてよく雑誌に紹介されるが、実際の街はぼやけた感じで、今はその面影は感じられない。
「それじゃ、いつものあそこで」
「わかった、あそこね」
「時間は1時でどう」
「いいよ、1時ならお客さんもすいてくるしね」
その店はニコライ堂の近く、坂の途中にあるインド料理店だった。インド人の作る料理は総じてどれも日本人向きにアレンジしていない。そんなところがレンもレイも好きだった。
ディンキーは後ろから風を受けながら、海岸向かってすうっと走りだした。
一匹のカモメがその後を追うように波すれすれのところをふわりと飛んでいる。
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