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2011年8月25日木曜日

読み続ける本 老人と海



この朔風社という小さな出版社は主に釣りにまつわる本の出版をしています。

今は文京区から国分寺に移ってしまいましたが、ちゃんと存在します。

私がこの本を購入したのは第二版の1993年ですから、やく20年前です。

訳者は秋山 嘉さんと谷 阿休さんです。

ということは逗子に置いてあったので、20回は読み続けています。

布の紫の装丁は日焼けして白くなってしまい、ページは黄ばんでいます。

そんな本ですが、毎年何かしらの発見があります。

老人と海の最後のシーンを思い出してください。

==本文よりの引用です==

「あれは何なの?」その婦人は魚の巨大な背骨を指差しながら、給仕の男に尋ねた。今、その骨はくず゜となって潮に乗り沖へ出ようとしていた。

「ディプロン」給仕の男は答えた。「鮫ですよ」彼は事の次第を話そうとしていた。

「鮫があんなに綺麗な恰好のいい尻尾を持っていたなんてしらなかったわ」

「ああ ほんとうだな」彼女の男友達が相槌を打った。
 
道をずっと上がったところにある小屋の中では、老人がまた眠り込んでいた。臥せのままの姿勢で眠っていた。その傍らに少年が坐って老人を見守っている。老人はライオンの夢を見ていた。



ここで疑問に思うのは、給仕は何故「ディプロン」といったのでしょう。ヘミングウェイは「海流に乗って」の中で、青鮫のことを他の鮫と区別している。さらにこの青鮫のことを頭がよく、度胸もよく、不思議な魚で、その内側に鋭く反った歯以外は、皮膚や目はメカジキに似ているともいっている。
そしてそのキューバ名は「デンツーソ」である。

さらに大きな体躯のガラーノという鮫はおそらくイタチザメの事と思われるがこれも違う。

つまり作者はここに最後に来て読み手に深く考え込ませているのだ。

そしてそのことはこの物語の結末が、鮫かカジキかということはどうでもよく、ただ死闘を繰り広げ己のすべてを出し切った老人から少年への経験という唯一の魔法を通して海という偉大な自然との関わり教えてくれているのかもしれない。

やはり名作は何度読んでも良いものです。

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