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2010年2月10日水曜日

毒 風聞・田中正造  追悼 立松和平氏


立松和平氏が亡くなられました。享年63歳でした。本名は「横松」をもじってペンネームにしたそうです。彼の独特のイントネーションは栃木県のものです。宇都宮高校から早稲田に進学し、小説家になった人です。

私はこの立松氏が「毒 風聞・田中正造」という本の執筆にあたり、父の所に取材に来ていたことを覚えています。

彼のその後は環境問題に自ら取り組み、足尾鉱山のはげ山に植林活動をしたりテレビでも取り上げられていましたが、そのずっと以前に、渡良瀬川流域の鉱毒被害、ついては足尾の現状についての調査でした。

父はエコロジーなどという言葉のなかった当時、微力ながらも足尾の銅泥を削減し、地域振興に役立てられないかとのその泥を使って窯業の研究をしていました。

そんな理由で取材に訪れたのでしょう。幼い目に笑談していた姿を思い出しました。ご冥福をお祈りいたします。

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小さい頃には毎日のように魚取りに出かけていたのでよくわかるのですが、渡良瀬川はその当時、不思議なことに上流にいけばいくほど魚がいませんでした。私の住んでいた桐生あたりにはハヤ(うぐいのこと)やどじょうは住んでいましたが、沢入(ソウリ)より上流では支流にはカジカや岩名が沢山住んでいたのに渡良瀬川の本流には魚を見ることはほとんどありませんでした。今ではアユももどり、上流にも魚が戻ってきていると聞き及びますので幾分彼らの苦労が実を結び水質がよくなったのかもしりません。環境を良くするには時間が必要なことを感じます。

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