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2010年2月10日水曜日

プリウスブレーキ問題  所感



巷のプリウスブレーキ問題について、所感を述べるとするならば、確かにトヨタほどの大企業が成長している(特に急拡大した)ときの商品のマーケットポジションについて彗眼を持っていなかったという点です。

そもそも初期型のプリウスのブレーキの効き方は今までの車のそれとは明らかに違っていました。それでも年々改良を重ねて、受け入れられないものではなくなっているというのが私の感想です。

あのブレーキは実はバイワイヤ方式というブレーキで、ブレーキペダルと油圧シリンダーがワイヤで繋がれ、ブレーキの位置、速度を感知し、制御するいわばコンピューター制御なのです。

さらにプリウスにはタコメーターもありません。エンジンは回転で出力を出すという考えではなく、モーターと組み合わせたアトキンソン・サイクルエンジンというもので、圧縮比と膨張比が異なることを利用した省エネ、低トルクをモーターでカバーするものです。

ですからコンピューターで制御されたフィーリングはつまりこれはトヨタがいう主観に沿ったものなのです。プリウスがマーケット内において「特別の存在」であったときにはこれで済むのです。しかし、マーケットのパイを大きく握り「普通の存在」になり、車についてのドゥージェリエンスを持ち得ない顧客に対しては、これは通用しません。中身は違うのにもう一度ガソリンエンジンのそれに近いフィールに特性をまげてでも完成させなければならなかったのです。

イタリア車、イギリス車、ドイツ車と乗り継ぎ、車は壊れるもの、特徴のあるものと分かっている顧客にはクレームにならないのです。その点を履き違えています。人によって車の耐性そのものが異なるのです。

私のGrand Editionなど2トンの巨体です。すぐには止まりません。BMのようにブレーキが事前撥水しているような優れた機能はありません。でもあれはあれなんです。アクセルペダルが折れてもクレームはさほど感じません。さらにアクティブステアリングもその当初好き嫌いのはっきりする機能でしたが、今となってはなくてはなりません。出始めのPCのようです。

21世紀の車両は皆同じになると言ったのは、こういった意味合いから求めるものはまるでPCのようにユーティリティに従うことになるからです。もはや内燃機関としのエンジンではなく、PCのCPUのように組み立てられるようになるからです。

もはやそんな車には少なからず私は興味を持ち得ません。残念ながら、20世紀の車が年寄りの私には合っています。

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