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2010年3月8日月曜日

ル・コルビジェ


このLC1 LC2からもコルビジェが好きなことはおわかりかと思います。ただし、私のコルビジェ好きは彼がモダンな建物により近代的都市づくりを目指していたからではありません。

だから異端的愛好者の所以をもう少しご説明いたします。




以前この「荷風とコルビジェのパリ」を読みました。コルビジェ研究家は数多いますがこの著者東秀紀氏もそのひとりです。著者は同じ時代にいて、正反対の方向に歩んだとしていますが、本当にそうだったのでしよぅか。

荷風は都市の近代化を嫌い、あえて猥雑で混沌とした場所を好み、居を遊郭の一角が色濃く残っていた玉ノ井に居を移します。そして、あの作風はそのとおり荷風の評価にあてはまります。

一方、コルビジェはどうでしょう。確かに「サボォア邸」あたりまでは、ガラスと鉄、直線によるモダンな建物を作っています。しかし、彼の後期の作品とはあきらかに異なるのです。そうです。ロンシャンの礼拝堂などです。

彼はスイスの出身です。スイス人はパリでは田舎者です。その田舎者が都会的建築を標榜するにはより都会的な作品を好き嫌いではなく残す必然があったのではと考えてしまいます。

その証拠に彼は生涯を通じて南欧の女性を好みました。みずから、南欧の血を引いているとまで言っています。そうつまりコルビジェも都会的で壮大で人を圧倒する建築より猥雑で、人間的、混沌としたものを本質的には欲求していたフラストレーションがあの作品を作る基盤だったような気がするのです。
多くの評論は一元的に作品をとらえて結論付けようとします。人間は多面的であり、時と場合によっては太陽と月ほどの違いもあります。その部分欠落が多くの評論に見られるのは寂し限りです。

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