私が大学に入学した頃には学生運動も下火になっており、私立大学のほんの一握りのいくつかでポツポツと狼煙が上がっていたようなもので、はっきりいって冷めきっていていうならば「カッコヨクナカッタ」訳です。
しかしそれだけではありません。あの闘争時代「無理」があると感じていた事もあるわけです。
システムに対抗するためにさらに強大なシステムを対抗させることで、システムを変更できるのは戦争以外にありません。システムを変更するのは必ず内部の力です。つまりその時は知らないけど何となくその無理が分かっていた訳です。結局、強大なシステムを作ろうと奔走した一方は内部崩壊でシステムが壊れた(内ゲバ)事は皮肉です。
システムというのはいくつかが交互に複雑に絡み合っています。それも時と場合にはいとも簡単に崩壊します。
東欧の民主化の動きは何だと異を唱えるご仁もおられるかもしりませんが、言っておきますがテレビに映った民衆の姿はあくまで「象徴」です。政権中枢と結んでいた政府の内部が瓦解したのです。そうシステムは内部の氾濫にはいとも簡単に崩壊してしまうものなのです。
これは生物の体に似ています。そんなことをテーマにしたシステム論でも面白そうです。アポトーシスやホメオスタシスとはこういったシステムに転用出来る言葉だからです。
新しい闘争のスタイルはどこかの司法試験塾宜しく、国家公務員甲種試験にどんどん受けさせて中枢よりゆっくりシステムの崩壊を目論むというのは如何なものでしょう。まあやる気もお金もそしてそこまで今の日本は持たないような気がしますが・・・・・・・・・・・・
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