日曜日の福山雅治氏演じる坂本竜馬がどうのこうのというんじゃないのである。
どうして日本人はここまで坂本竜馬が好きなのであろうか?私には不思議で仕方ない。
坂本竜馬なる人物を世に知らしめたのは「戦争」である。天皇を中心とする日本国の象徴として海軍設立に尽力した人物を再発見し、世の中に「こんな人もいたんだよ」戦争の象徴として担ぎあげられた訳である。
そんなこと頭の片っぱしにもなくなってしまったのだろうか?
いやいや、そんなに簡単ではなさそうだ。
アメリカに戦争で負けた日本は圧倒的力の差を見せつけられ、そして降参したのて゛ある。
武士の魂宜しく切腹して死に果てたのか?そうではない。アメリカに守ってもらうことを選んだのである。とことん忠誠を誓い、アメリカのためになることを「自ら進んで選択」したのだ。アメリカが一方的に押し付けたとよくいうが、「自ら選択した」ことは自明である。このあたりのことは「村田良三回顧録」に詳しく出ているので参照あれ。(日米安保については後でまた書きます。ここではおさわりだけ・・・・)
日本の政治家に蔓延するこのアメリカ病は益々顕著になってきている。
そりゃ当り前だよ、日本の戦後は成長すること=成功と思いながら、アメリカの提唱する「自由な競争社会」を提唱してきたのだから今更「あれはウソだった」なんて言って一抜けできないのだ。
偏差値教育というのはまさにアメリカ型の教育システムだ。「みんなでよくなりましょう」というのではない、「誰か出来ないやつを作って相対的に自分が上に行くシステム」なのだ。まさに弱肉強食である。そうして大人になった人間がどうして人のために尽くすことができるであろう。
自分がしてきたことと同じことをするのが関の山である。
社会を改革するということは「一定のシステム内における富の再配分」に他ならない。幕末から明治にかけて徳川家から政府への富の再配分システムといってもよいだろう。つまりは「被害者意識」なのである。何故、被害者意識か?それは「あいつはおれより持っているから、分捕ってしまおう」というこの意識であるからだ。
今の大人にこの被害者意識が多いことを痛感する。マスコミもこれを煽る。それゃそうでしょう、弱いものの見方がカッコイイなんて教化してきたのだから当たり前。
テレビに出てしゃあしゃあと「私達はこれだけこんなに苦しめられました。悪いのはあなたたちです。」こんな言葉を毎日聞いている。
だから竜馬が好きなんです。だって「殉死」するわけでしょ。この分捕り競争のために、そりゃ人気出るわけよ・・・・・・・・
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