このブログを検索

2010年6月7日月曜日

ジェラルド・カーティス 「政治と秋刀魚」


良くマスコミに登場しているジェラルド・カーテイス氏を知らない人はいないと思う。

この人の好き嫌いははっきりとしていて嫌いな人に言わせれば政府お抱えの御用学者だの、小泉政権と結託した悪しき象徴などとも言われている。

しかし洋の東西を問わず、大陸的視点で再考するということは有益なのも事実である。

Rパパが和辻哲郎氏ルース・ベネディクト「菊と刀」批判もいいが、日本人でそういった比較文化論が書けるのだろうかと言っていたが、その通りだ。著書の全面的に肯定はできないが・・・・・・




昨日見た「視点・論点」での発言は的を射ていたと思う。彼の好き嫌いは別として我々国民の代弁としては正論に近い部分が多かった。

本来ならこういう発言は必要ないかもしれない。ただマスコミの窮状を見るにあたってはそうとばかり言ってもいられない。

多くのマスコミはまるでゴシップ記者のように誰もがあっという話題づくりに励んでいる。私がマスコミ嫌いなところはこの姿勢である。俗人的理由が一番面白がられる所以である。誰も構造的問題を話しても「あっそう」なのである。だから、この手法を止めない。

以前なら、記者には記者としてのプライドと教養があった。嘆かわしいことに今の輩は芸能レポーターと大差ないではないか・・・・・・・国民にはその表層のみが流される。


もっとも氏のことを強く批判しているサイトなどはポップアップがたちまち襲ってくるようなものだからその点も懐疑的であるが・・・・・

要するに、自民党のこのところの3人の歴代総理も、そして鳩山元首相も同罪を犯しているといっていた。国民は小泉政権を否定してはいなかった。未だに彼の信奉者は多いのが現実である。

なぜならデフレもなく経済成長が行われたのはこの小泉政権のときのみなのである。

確かに「くれればもらうよ」というのが子供手当の本音だろう。高速道路の割引も同様である。

そう、そんな目先の子供騙しではなく、どうやってこの国をどんな国にするのか明確な計画を示してほしいのだ。そしてそのためには何と何が必要なので、国民にはこのことを我慢してもらう。そういった信念を持った視座である。

カーティス氏はその日本の構造的問題点を「政治と秋刀魚」の中ではっきり示している。「失われた10年」が何故失われた10年になったのか、「日本の政治が遅れている」ということは国民の考えと、政治の構造が乖離しているからだと・・・・・・

誰一人私達が選んだ人間が総理になっていないとしたら、この国の政治システムは遅れていることになりはしないのかと・・・・・・・・危惧するばかりである

0 件のコメント: