最初に
武田泰淳を知ることになったのは大学の社会学の授業で「
カリバリズムの社会的背景を探る」という授業の中で、彼の代表作「
ひかりごけ」が取り上げられたことでした。
このひかりごけは実際に知床で起こった死体遺棄事件を題材に書かれたもので、今ではこの事件を「ひかりごけ事件」と読んでいます。その時取り上げた他の題材は19世紀のミニョレット号事件と数年前にアンデス山中で起きた航空機墜落事件だったことを記憶しています。アンデスの事故は記憶に新しかったので私はそのことに興味を持ちこの授業を選んだのです。
武田泰淳の妻、百合子は夫の死後「
富士日記」を出版しますが、確か百合子の出身が横浜の富豪、鈴木家だったと記憶しています。当時の不在地主は農地改革のため惨憺たる状況だったので百合子の苦労もしのばれます。
まだ「富士日記」は読んでないので購入して読んでみることにします。
この富士日記は義父が会員だった富士レイクサイドカントリーにほど近い富士桜高原での百合子と泰淳の生活が描写されているということなので私には尚更親近感を持ちます。
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