この本の著者
J・Gメルキオールは
啓蒙主義者だ、プラグマティズムとの親和性は別としても構造主義を批判する他者の目として私達はこれを読むべきだと思った。
デリダを「
思想の文学化」と繰り返し読んでいることは注目に値する。これは構造主義のテキスト分析が著者の生い立ち、時代背景など全て無視して排除することがその書物を軽薄なものにするという意味を言っているのであろう。
確かに、サブカルチャーのように言語学や記号論といったものと隣接している分野、特にバルト批判においてはこのような批判は有効であるかもしれないと思う。
一方、後期デリダの政治的発言や歴史観にはこの啓蒙主義的批判がどうも的外れになりはしないかと考える。
一方聞けば他方も聞く、私の読書信条です。
0 件のコメント:
コメントを投稿