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2011年10月19日水曜日

死の哲学 アルフォンス・ディーケン

大学の友人の死生観について私なりの考え方を追記しましたが、その友人よりコメントが返信できないと返信を受け、よくよくコメントの設定を確認したらID所有者のみの設定になっていました。ゴメン!!設定をブログメンバーに設定し直しましたのでお許しあれ、しばしこのまま行きます(笑)


友人の死生観はそれなりに彼女の経験から漠然と自分の死に対して抱いている訳で、それはそれで良いと思っています。さらに基本的に軽く行きたいとこの問題をファイナライズしていないのも良しでしょう。

私は直接授業を取ったことはありませんが、母校の哲学科で教鞭をとっていたアルフォンス・ディーケン教授が「死の哲学」の中でとても良いことを言っていました。(以前にも書いたかな?)

疫病や戦争によって、今日ある命がいつなくなるかも分からない中世において、死を受け入れることが大変重要だったということです。確かに人間は死を前にすると、恐れたり、泣きわめいたり、はたまた自暴自棄になったりします。心が平穏でなくなります。それはそれで人間的でもある訳です。

ではどのようにして死を受け入れたのか、それはとりもなおさず「諦念」にあるのです。今日を精一杯生きた、今日を無駄にしなかったそのことが、死を受け入れる原動力になるというのです。

では今日を精一杯生きるとはどんな生き方なのでしょうか・・・・

ある高僧に教えられたことがあります。人間の欲求をゼロにすることは出来ないけれど、無限大の欲求に枠を掛けることは出来るというのです。身の丈を知るということです。すると人間は身の丈に余ったものを家族、友達、地域、社会と還元できる。これこそが人間の幸福なのだと・・・

美味しいモンブランがあったとします。一人でそれを全部食べるより、みんなで食べて美味しかったを分かち合う方がその美味しさも倍増します(笑)

それ以来私の幸福の方程式は決まりました

幸福=√健康×(人間関係+価値共有の時間)

もちろん会社も家庭も全て同じ価値共有の時間です。人間関係とて同じです。係数が健康なのもお分かりですね。そして√が掛っている意味も・・・・

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