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2011年10月19日水曜日

若者考 下流社会の真実


同期の三浦 展氏が使ってから下流社会なる言葉が定着し、若者の下流志向が増加していると言われています。私もそう思っていた時期もあります。

確かに今の人たちの給料を見ても20年前と変わりません。むしろ低くなっているケースが多いのではないでしょうか。また、働く意欲を無くしているとも言われています。

しかしこうした若者論に私は一石を投じたいと思うのです。

何故ならアメリカ式の大量消費生活に憧れ、その熟れの果てを造った張本人は私たちだからです。

彼らは何もそんな生活を望んでいたのではないのです。私達が押し付けたにすぎないのです。

その私たちも知らず知らずのうちに日本文化の特徴と古層(丸山眞男氏の言葉)によって飼い慣れされてきたのです。

以前にも司馬遼太郎氏と村上春樹氏の著作を比べて、日本文化の異形な側面を説明したように、我が国の文化は類まれな日本的伝統の上に西洋的思想が上塗りされたものなのです。

例えば日米安保について私たちはどれほど理解しているのでしょう。私も含めて怪しいものです。

若者たちはそんな矛盾をはらんだ先人の歴史を冷めた目で見ているのではないでしょうか。

考えてみて下さい。コツコツと満員電車で通勤し、定年まで勤め上げ、老後は蕎麦打ち(これは比喩です)が趣味の大人たちを見て、自分もそうなりたいと思えというのがナンセンスです。

若者は物を買わなくなったと言いますが、本当にそうなのでしょうか。その物に価値を感じてないのではないでしょうか。

我が家の娘も本当に買い物をしません。ブランドものなんかほとんど持ってないです。息子は息子で、これまた物の基準が厳しいのです。ハンバーガーならばマックのハンバーガーが基準で、1000円もするバーガーは論外だそうです。

そうした若者達を下流になったと言い切ってしまうのは、観察者があくまで上位にいて、上から目線で判断したもので、もしかすると社会の構造そのものが、反転しねじ曲がってカラビヤウ多面体のように別の次元の宇宙と繋がっているのかもしれません。

下流だ上流だという論争そのものが、もはや時代遅れのもののかもしれません。

私はいつも正しいとは限らない・・・50歳を過ぎたらそう思うようにしています・・・

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