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2010年12月31日金曜日

大晦日 落語「芝浜」

私の好きな落語に大晦日を舞台にした「芝浜」という落語があります。

今は亡き桂三木助さんの十八番でした。

この「芝」はもちろん港区の芝です。ここで大酒のみの魚屋が偶然大金の入った財布を拾って散々飲んで酔いつぶれて、目が覚めると女房に夢だったと叱られ、それより反省し酒を断ち一生懸命働き、成功をなすという人情物語です。そして、財布が役所から戻ってきたあとも、「夢になるといけねえ」と酒を控えるところがこの話のおちなのですが、聞いた後すぅっと良い気持ちになる噺なのです。

どこぞで落語でもと番組表を見てみましたが、お馬鹿さんなバラエティーばかりです。

テレビの番組うっとおしいたらありゃしません!!!炬燵にこもって読書します・・・

大晦日 お墓詣り

ここ4.5年息子と二人で恒例になっているお墓詣りです。多磨霊園と八王子なので結構距離があります。息子はおばぁちゃん子だったので祖母も喜んでいるでしょう。綺麗になりました。

みたま堂は年末年始入館できないので、正面で先輩に手を合わせました。




今日は道が空いていました。帰りは中央道を戻って池尻JCTよりと思っていたら、警察の元旦の暴走族の取り締まりを池尻で行っていて環状線は渋滞マークです。永福で降りて下の道でいつものルートです。

川崎ICより渋滞なので高速は川崎で降りて、時間を見ると11時50分、一番で逸喜優に行くのも物欲しげかなと思いたまプラーザテラスでランチです。丸亀製麺所にて釜玉とおろし醤油にイカ天とかしわ天です。



KALDIでコヒーを試飲し、ヤマザキで今度はワインの試飲です。NZのシャルドネとブュィイフュッセですか゛・・・・まあまあです。900円は少しばかりいただけません・・・

逸喜優で5万2500円なりを支払い、来年も宜しくお願いして帰宅しました。

家では妻が年末の鴨の準備をしていました。

2010年12月30日木曜日

ぴっかぴっかの・・・・セプとさくら


段々で思いっきりボールで遊び、セプとさくらのシャンプーです。

セプは老犬なので皮膚が弱く、殺菌シャンプーです。さくらも顔と耳はこれです。

シャンプーの後の濯ぎが大切です。寒いのでブロアーでなく、ドライヤーで乾かします。

年末最後のBBQ


仕事で一番お世話になっている人に年の最後にこんな豪勢なBBQを催して戴いて筆舌に尽くしがたい喜びです。

このために昨日、木更津まで魚介類を買いにいかれたそうです。

焼き牡蠣に蟹、サザエの壺焼き、手羽や野菜、さらにお赤飯にけんちん汁とお腹いっぱいです。

仕事をしていてこんなに喜ばれるのです。偉大なる商店主も満更ではありませんよ・・・

しっかりと1年分の心のお土産を戴きました。本当にうれしい最後の最後でした。

Present

PRESENTの語源は「目の前にある」ということを知っていましたか?

先送りのプレセントはプレゼントに非ずなんていうつもりはありませんが、出来たら手渡ししたいものです。

お正月にお年玉とは別に親戚の男の子と女の子に渡そうと、昆虫の本を買いました。

小学校入学前の子は別としても、小学生ならば興味のある分野は大人も子供もありません。

小学生の頃、母親に買ってもらった百科事典をそれも興味のあるジャンルのみ擦り切れるほど読んでいた私としては(ジャンルジャポニカという百科事典)、選ぶ基準はすばり自分が読みたいかどうかです。

こんな本をプレゼントします。




あ・り・が・と・う   dogs

今年も1年一緒にいてくれてありがとうの気持です。もちろん人間じゃありません。セプとさくらにです。

一昨年はスコッチ、今年はメイとチコ、長生きしていた友達も虹の橋を渡ってしまいました。

セプとさくらは「ただいてくれるだけ」で感謝です。

そんな感謝の気持ちで今日はシャンプーです。シャンプーを人任せにする(美容室)人が結構いますが、自分の犬くらい洗ったらどうでしょう。体の状態も良く分かりますよ!

うちの場合はもちろん経済的にも助かる事が一番ですけど(笑)だって2匹で1万円札が3枚近く飛んでしまうのですから・・・・(笑)

ブルース・ウェバーバーの「トゥルーへの手紙」ではありませんが、「あなたは犬と遊んでいますか??」その言葉で胸が痛くなったあなた!!まだ間に合います!!!







仕事収め ボランティア

毎年30日まで仕事なのはもうずっと続いています。娘も1日より仕事です。息子も今日は5時半に起きて研究室です。我が家に年末年始はないようです(笑)

すき始めた電車(私は乗らないけどね)、いつも混雑している一般道路がスイスイと走れ、一方、遠くに繋がる高速は大渋滞・・・・こんな師走の風景を・・・・結構楽しんでいます。

今朝、池尻を降りた246で事故でした。若者らしい派手な内装のクラウンがスピンして中央分離帯で火が噴いたようです。消防車の消火剤がまき散らされていました。私とていつそうなるか分かりません。幸福も不幸も隣合わせなのです。

そうこうしながら「何とか生かされている」、そう思うのであります。

ここ数年、毎年年の瀬に家族や、スタッフ、親戚、友人への「贈与」とは全然別の全く知らない第三者に「贈与」をしています。そう社会に対する感謝の気持です。本来なら、勤労奉仕やサービスの提供こそが真髄なのでしょうが、30日までの仕事のため中々そう思うようには出来ません。結果として寄付が多くなりますが一つの団体に決めている訳ではありません。社会やその時々の情勢、自分の価値観に合わせて行っています。

今回は臨床には進みそうもない息子のこともあり、紛争地や災害地で救助活動を続けているMSF(国境なき医師団)に寄付をしました。

どうでしょう、50歳を過ぎた皆さん、ひとつで良いですからそんな気持ちを持ってしては如何でしょう?

ノブレス・オブリージとはいきませんが、心が少しだけ軽くなりますよ・・・本当・・・

entrepreneur アントンプレナー

ウィキペディアによればentrepreneurとは、自ら事業を興す(起業)者をいう。通常、ベンチャー企業を開業する者を指す場合が多い。「アントレプレナー」とも言う(フランス語 "entrepreneur"(アントルプルヌール)の英語読みより。女性の場合はentrepreneuse―アントレプルヌース)。

何故、アントンプレナーの話題が出てきたのかと申し上げますと、息子への郵便物の中に、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)のアンケートがこのアントンプレナープラザより送られてきたからです。

才能の「贈与」にて内田先生の考えを示したように、アカデミックな研究や成果は同様に「贈与」であり、社会に還元しなければならないと考えるからです。つまりはアントンプレナーはこの還元装置でもあるのです。

日本には起業家は少ないといいます。日本の社会性と一言で片づけてしまえばそれまでですが、我々が体験しているこの社会は明治以降に作られた偏狭なものです。武士道がまだ存在していた頃には騎士道のnoblesse obligeといわれる弱者や社会正義が存在していたと思われます。ですから、今いちどこの高貴な精神を持ってアントンプレナーをめざして欲しいものです。寄らば大樹の陰では寂しすぎます・・・

2010年12月29日水曜日

朝日新聞社 がんペプチド療法

10月15日付の朝日新聞社が掲載した「がんペプチド療法」についての記事を読み、この私も一部そう思っていた(後で某人の別の角度の説明により、この記事の内容については再度リテラシーを持って読み込まなければならないと確認した)ので、世の多くの人はペプチド療法は怖い、病院が情報を隠ぺいしたのではというイメージが出来あがってしまったと思う。

このペプチド療法は国際医療センターに肝臓がんで入院していた先輩が治験を切望していたが、条件が合わず治療することは出来なかった。このとき治験はかなり厳しい条件でしか認められないことを知った。

これに対して病院側も朝日新聞社に抗議を行っている。抗議内容についてはこちらをどうぞ。

http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/files/statement.html

マスコミはマスメディアに訴える強い力を持っている。だからこそ、細心の注意と確認を払い報道することが望まれるが、理系と文系の乖離の甚だしい(医療訴訟なども同様)我が国において、この二つの平仄を整えることはもはや不可能なのであろうか?

最後は己のリテラシーのみ・・・・

大雪NY  バッテリーパーク

会計士をしている甥っ子夫婦と一人娘がNYのバッテリーパークに住んでいます。

そう私の好きなリッツもここにあります。(写真はHPより)行くとしたらここに予約でしょうね・・

バッテリーここでは電池ではなく、砲台の意味なんです。日本でも富津に砲台跡があるようにここにも砲台があつたからのネーミングです。





つい先日、その家族のクリスマスカードと犬のイラストの可愛いスタンドブックストアという本屋さんのショッピングバッグが送られてきました。サンキューであります。



そうそうSパパ、バッテリーパークはマンハッタンです。自由の女神があるのが「リバテイー島」、その左にあるのが「カバナーズ島」、右手の小さいのが移民局のあった「エリス島」です。

そのNYが今大雪で、空港は閉鎖、道路のタクシーは立ち往生、スキーで移動するのが一番早かったとの笑い話まで飛び出すほどの大雪のようです。

心配は心配ですが、すでにクリスマス休暇です。来年には帰国すると聞いています。こんなNYの体験も後になって懐かしい思い出になるでしょう。大雪のNYをせいぜい楽しんでみては如何でしょう?

Swedish Paradox

こんな本を読んだことがありますか?

スウェーデンといえば福祉国家で税金の高い国という一般的印象が強いと思います。

しかし、一方で企業にとっては高競争社会でもあるのです。

どこかの国のように衰退(構造的に)していく産業や企業を国は手助けしません。

あのサーブ自動車見たでしょう?唯一、航空機まで製造していた一流企業でも容赦はありません。

もちろん人口も東京都より少ない位ですから、直接我が国と比較するのは乱暴すぎます。

私が述べたいのは、競争社会=自由市場原理を導入する一方、社会的インフラや制度を通して、労働力の移転をしやすくし、技術の海外移転を留めるべく法人税等の優遇を行い、高福祉の実施を行うという、セットでの政策が必要だということです。

その上で必要な税金を国民に負担してもらうということなのです。

今の日本がこのような構造的変革を為して低成長戦略を勝ち得ていくには数十年いやそれ以上の期間があっても出来ないかも知れません。

これまた憂国の感ありです・・・

新宿区歌舞伎町1-4-1

この住所で住民登録をしている人が百人以上いるそうです。

そうです。新宿区役所の所在地です。住民票の登録は何のためにあるのでしょう。そもそも必要はあるのでしょうか?

社会的弱者を助けるセーフティネットは確かに必要です。しかし、苦し紛れの政策では何も改善されません。尤も、自由と人権を声高に叫んでばかりいる人たちがこの国の財産をボロボロにして、バラマキ捨てているような政策ばかり目につきます。

我が国の首相がどのような足取りで、どのような政策を信奉していたのかもう一度考えてみる必要があります。

教えるべき事

親が子供伝えるべきことは何でしょう?

私の場合には中学までは勉強について一緒に考えたり、方向性を提案することはありましたが、それ以降はもちろん一切口を挟んだことはありません。

息子は今大学3年生ですが、MD研究者コースを履修しているのでこの1年間某研究室にお世話になりました。しかし、中ボスの海外赴任により研究室の変更を余儀なくされています。

もちろんこういったことは本人、将来も起こりうることだから早いうちに経験しておく方が良いと肯定的に捉えています。

私もこの歳になると人と直接お会いしていなくても、その人の書かれた文章、実績、年齢、部下の人事配置などを総合的に見て、どの程度までどういった人生設計や思想を持たれているのか、何となく想像出来ます。

息子に「某研究室の、あの先生はどう?」と聞くと、珍しく答えてくれて「まあ、あの先生の業績は確かに凄いし、今の中ボスもそれなりの実績は上げるでしょう。いやそれ以上かもね。でもその先は分かりませんよ。それにあの組織はそういう意味で硬直している面も感じられるからね」

私「へえーそんなこと考えられるの?」

息子「以外とみんな考えないんだよ。でも今の中ボスがそうやって間違って才能を埋没させていった人を多く見ているとも言っていましたよ」

「まあ、親父の子だからねそんなに真っすぐにしか物を見ている訳でもないよ」

教えなくても子は育の例えです・・・・

えっ教育は「贈与」じゃナカッタけっけ?   両方です(笑)

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今日息子は高校の新しく出来た「TK医師の会」出席のため夕刻よりホテルニューオータニです。

スーツはジージに誂えてもらったネイビーサキソニーです。シャツは薄いブルーストライプです。

合わせるネクタイはオレンジと白とネイビーのレジメンタルです。ネクタイばかりは妻には相談しません。こういうときは私の出番です。名刺入れを渡しました。むろん自分の名刺はまだありません。戴くときのためです。本日の総会には出身者の早大総長も出席の予定だそうです。

選択の科学

著者、シーナ・アイエンガーはコロンビア大学のビジネススクールの教授です。私がコロンビア大学のアルマ・マーテル像のスカートの下のフクロウ(智の証)を盗み見したのはお許しあれ、決してストーカーではありません(笑)



この本実は彼女が自身の終身教授職試験のときに「選択」について研究考察した数多の結果なのです。

彼女がインド系アメリカ人で多文化的視点もさることながら、個人的に「選択」の多さが必ずしも良い結果を生んでいないと(人生の数々の面で)感じていた私には、彼女の24種類よりも6種類に絞ったジャムの試食の方が売り上げに貢献したという結果は興味深いものです。

人生とは「選択」の歴史です。毎日、毎日何らかを「選択」しているのです。

選択肢の数は大きな意味を持ちます。今会社を離職すべきか、残るべきか、ほかに選択肢は無いのか・・・・

その選択しを形成するのは「内在強化」しかありません。己の知識と達見を高めて選択しを創造する作業です。円環的時間や相対的思考を学んでいくうちに新たな考えが選択肢として「創造」出来る場合もあります。

皆様も「選択」について考えてみて下さい。

マスコミよ大人になりなさい

マスコミ嫌いが今更何言ってんだよと思われましょうが、市川**蔵氏の喧嘩さわぎをもうそろそろ話題にするの止めたらどうでしょう?ましてや会見なんて開かせている方も方だけど、取材する方も方です。

物事に絶対どちらが正しいなんて稀もまれ、ましてや喧嘩は最後は当人同士に任せておくべきです。

日本のマスコミは総白痴化したの?

戦場カメラマンがバラエティに出ていたり、ちょと可笑しいんじゃないの?

いくら話題が無いからといってあそこまでしなくてもと思います。だから我が家はテレビには全く興味がないのです(女性陣は知りませんが・・・・)

2010年12月28日火曜日

心のお土産

やっと来客の足が止まりました。来ていただいた方に失礼ながら正直そんな気持ちです。

その中で、あるお客様からとても良い言葉を教わりました。

心のお土産」です。招かれて行ってもただ食事やお酒を飲むだけでは人は本当に満足しないというのです。帰るときに「来てよかったな」と思える「心のお土産」が必要なのだということです。

ひとを招くとは全人格的に人を招くのであって、その人の周りに如何に人を引き付ける魅力があるか問うているというのです。

なるほど考えさせられます。ですから自分に自信のない弊社はこちらからお客様を呼んでの集まりは開催できません。(単なる理由づけ?)

帰るときに「心のお土産はありましたか?」聞くと、ニヤッと笑ってそのまま階下に姿を消していきました・・・・・・・来年も宜しくお願いします・・・・

坂の上の雲

先日も誰かが「坂の上の雲」について「どうなの?????」という感想が聞こえてきました。

確かにステレオタイプの明治維新という側面はあります。日本海大海戦は映画そのものですし、東郷平八郎はあのままのヒーローです。

そしてここまでどうして間延びさせるのというのが本音でしょう。いくらなんでも3年は長すぎます。

しかし、これからが見ものなんです。個人的には。日露戦争に勝利して昂揚する国民戦果とはうらはらに兄の好古は元帥の推薦を辞し、下野して郷里の校長に降格する件は、どのような心境だったのか、はたまたそれをどのように描写するのかとても楽しみです。

真之が50歳で逝去するのに対して、好古は71歳まで暮らします。当時としては長命だったはずです。

蛇足ですが参議院議員の大石尚子さんが真之氏のお孫さんと知っていました??

出不精 人嫌い

30日まで仕事です。ちょっとうんざりしています。昨日も建築会社、金融関係等の挨拶回りで来客が絶えません(私の基準ですよ)今日も午前中から予定が入っています(当たり前か)いやこの頃人と会うのが中々面倒くさいんです。極力、アポを避けていても仕方ない場合もあります。

私は基本的に人と会うのが好きじゃありません。しかし好き嫌いにかかわらず多くの人と会わざるえません。ほんとうは誰にも会わずに一人で犬と一緒に本を読んでいるのが好きなのです。

当然出不精です。頭の中で空想旅行することは好きですが、出掛けて行って観光すると言うのは最も苦手の部類です。

しかししかしです。好き嫌いに関係なく多くの人の間にビジネスが存在することも事実です。

年末の嘆息です。

お泊り ロイ君とシェリーちゃん

ロイ君とシェリーちゃんは(犬の名前しかしらない)はご子息が全国高校ラグビー出場のため今日からあざみ野のホテルでお泊りです。




東京は国学院久我山と本郷、神奈川は桐蔭と慶應です。息子さんのポジションはウイングですから得点に絡む花形です。

お初天神のシュウマイ屋さんの名前が出てきませんでした。正式には「阿み彦」です。梅田にもあるようです。外パリッパリの中ジューシーです。ビールとあいまんなー!!!



私のように高校のラクビー部の人数が足りないというので、バスケ部から集められた素人とは違い、このクラスのスピードとパワーは半端じゃありません。

天賦の才能 パンのための学問はするな

内田先生がブログで面白い事を書いていたのでご紹介します。私もそう思うからです。

ー中略ー

天賦の才能というものがある。



自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。


「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。


外部からの贈り物である。


私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。


才能は「贈り物」である。


外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。


それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。


どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。


私はそのように考えている。


才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。


私がこれまで見聞きしてきた限りのことを申し上げると、才能は自己利益のために用いると失われる。


「世のため人のため」に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。



そこまで内面化した才能はもう揺るがない。


でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。


才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだんその人自身から「疎遠」なものとなってゆく。


他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。


長く生きてきてそのことがわかった。


豊かな天賦の才に恵まれた多くの若者を見てきた。


彼ら彼女らは若くからはなやかな業績や作品を生み出し、高い評価を受け、すてきなスピードで社会的なプロモーションを果たした。


彼らは自分の才能の効率的な使い方については十分に知っていたが、「才能とは何か?」という一般的な問いを自分に向けることはあまりなかったようである。


なにしろ、生まれたときからずっと才能があり、才能がいきいきと活動している状態が天然自然なので、あらためて自分の才能の構造や機能について省察する必要を感じなかったのである。


それも無理はないと思う。


でも、ある程度生きてくれば、現在自分の享受している社会的なアドバンテージのかなりの部分が「自己努力」による獲得物ではなく、天賦の贈り物だということに気づくはずである。


それに対して「反対給付義務」を感じるかどうか、それが才能の死活の分岐点である。


ー中略ー
 
全部お読みになりたい人は先生のブログを見てください。http://blog.tatsuru.com/
 
そうなんです、「パンのための学問をするな」と私が言っていた事はこのことなんです。
 
私が内田先生のシンパであるのは先生もキチンと物質文明との親和性を持っておられるようだからです、ワタシャ聖人君子とはお付き合いできませんから(笑)

村上春樹  内田 樹


内田樹先生のこの2冊の村上春樹論は村上春樹シンパの私としては大賛成であります。

1冊は最初の本にさらに肉付けした内容になっていますが、思考論理は一貫しています。

個人的には村上文学を一通り読みこんだ後、今度は春樹氏が訳している英訳本を読むことをお勧めします。内田先生が言っている「世界的」の意味が良く分かります。

閑話休題

先般、パーティの席上、商社志望の学生でさえ日本の大学生が海外に行きたくないという話が出ていました。その原因は海外留学組が歯車の一部や英語屋として軽んじられていることを、学生たちが薄々知り始めた事が一端ではなかろうかと・・・・・確かにその傾向は歪めません。

ただ、ふと思ったんですね。そのときこの村上春樹氏のことを・・・・彼の訳本を読んでいると単なる翻訳者としての本とは違い、小説家の矜持が感じられます。そして単なる筆者の統一的世界観を押し付けるのではなく、クラウドの現在にマッチしたパーソナルな原体験を感じさせる奥深さを持っているのです。

私など海外留学の経験はありません。だからとやかく結論は言えません。

もちろん社会人として海外に出る場合には企業人として海外に行くのですからそのバックボーンに日本を背負っているのは当然です。しかし、学生や研究者の中でもこの傾向が強く、本当に海外で何して来たのという輩が多い気がします。

極端な例かもしれませんが、海外に行っても日本人学校に通い、街中の危ない所には近寄らず、日本人とのみ接していたような人に海外の文化を観察できるのでしょうか?これじゃ目の悪い人がプールで目を開けた位の景色しか見えないのではないでしょうか・・・

結局、村上文学が出来るようになるまでの彼の長い緻密な分析と収集があったと感じるからです。

これと同様の事が日本文化史においても感じられます。西欧人の日本文化論は「基督教的」「一元的」と揶揄されることが多いのも事実です。しかし、それ以上に日本人の海外文化論はチープで薄っぺらです。それに比べて最近出版されたジョン・ダワーの「昭和」など俯瞰的に見事に歴史をとらえています。



何が言いたいの・・・そう、若い人はどんどん海外に出るべきです。そう、「村上春樹流」で・・・というのが結論です。

2010年12月27日月曜日

来年に思う 卯年 

来年はウサギ年です。卯の字は本来草木がぼうぼうと茂るという意味があります。

解字はもともと門という字を開けて伸びた草木とい意味があるようです。

兎は「宇佐木」「明眎」「娩子」「舎々迦」という言い方もあり、釈迦の前世は兎だったと言われているようです。

実はこの兎、月と兎を結ぶ話は、洋の東西を問わず存在し、ルイスキャロルの不思議な国のアリスでも、異界に誘導するのは兎の役目です。日本でも兎の餅つきがありますね・・・

そんな卯年はまさに「門」を叩く年、「株守りて兎を待つ」にならないように、「兎の耳」のようにアンテナを張り、時代の潮流に飲みこまれぬようにしなければなりません。

鳥兎怱々」「兎の角論」にとらわれるとチャンスは「脱兎のごとく」逃げてしまうかもしれません。

兎の跳躍力よろしく飛躍の年にしましょう・・・・・

コモディティ化と付加価値

財物は一般に自由競争にさらされ続けるとコモディティ化します。どんなに売れ筋でも市場に蔓延し、どの会社でも容易に生産されるようになれば価格の一番低い商品価格がその財の価格となるのです。(一物一価の法則)

先般、今年になって19回も海外渡航している犬友のK井氏が新しい仕事を任され、本当はコアの1を売りたいのに、それ以外の99も売らなければならない」と言っていたことを思い出します。

彼の専門分野である重電気の原子力発電も、発電所本体以外にもそれに伴うコンデンサや昇圧装置、中継システムなどもろもろの付属する設備もパッケージで売るというのです。

なるほどパッケージになれば情報の非対称性は残ります。つまり情報の対称性が成り立てば、コモディティ化し、差別性、優位性は失われるのです。

ネットワークの怖さとは実はそのところなのです。価格のオープンは消費者にとって悪いことではありません。むしろ歓迎されるべきことです。しかし、それが進めば企業は意欲を減退し、はたまた保護主義に向かう恐れさえあります。

情報の非対称性とコモディティ化難しいテーマです。

腸内細菌 クリストリジウム属

23日付けの米国科学誌サイエンス電子版に東京大学とヤクルト研究所が共同で研究していた、ある腸内細菌の減少が免疫異常を発症するその原因物質を突き止めたとありました。

この物質はクリストジウム属の細菌でボツリヌス菌のような人間に有害なものもありますが、研究ではクローン病のような病気の患者はこの細菌が減少しているとの報告もあります。

いずれにせよ、解明が進められいち早く実際の治療に応用できるようになってほしいものです。

息子にこの研究の主任の本田賢也准教授の名前を聞いたら「もちろん存じています」との返答でした。同じ免疫系でもその取り組み方により複数の研究室があるのも同大ならではです。

息子には「パンの糧とならず、人々のためになる実績を残してほしい」と強く思う訳です。

しかし息子曰く「これからが難しいんだよ、まさに神の領域に近く、その物質の基序を解くことは並大抵の苦労じゃないんだ、発見してすぐ実利になるのは皆無なんだよ」

なるほど分子治療薬のアバスチンの治験をやっていたものの重篤な合併症が出て今休止しているようにおいそれとはいかないもののようですが、期待してしまいます・・・・・・

痛ましい事故

数年前、同様の時期、私は下り線を走っていると、上り線、東名川崎インターをそのまま3号線へ接続する手前で、大型トラックが普通乗用車を大破していね光景を観た記憶があります。、その後ニュースで親子3名が亡くなったと聞いたとき本当に痛ましい思いでした。

昨日も、中原街道の歩道を歩いていた歩行者に乗用車が突っ込み大破し、小さな子供を含む沢山の死傷者が出たとのニュースです。

あの交差点は、私が独身時代沼部に住んでいた頃、生活用品を買うためによく横断していました。通りの向こうには六軒商店街が田園調布まで連なり、とても生活に便利なところでした。

私も妻も良く使っていました。亡くなった方も夢にもそんなことは思わなかったでしょう。亡くなられた人はもちろん遺族もその悲しみははかりしれません。さらに加害者もこれからの人生を大きく変えられることになります。双方にとっての不幸です。年末年始、飲んだら乗るな、心のブレーキを注意掛けて下さい。

ちなみに私は燃費を気にして走るようにしています。そうすると無理な加速や減速もしなくなり、車間距離も開けるようになります。

是非お試しあれ・・・

影響を与えたひとこと

とあるきっかけで大学で教鞭をとる(その当時は在籍していたが今は退官された)方と同郷のヨシミも加わってお話させていただく機会がありました。

そのとき上州名物の話になり、私が赤城山の裾野のなだらかなことを上毛カルタという地域の名産や景勝をうたう句を引用して

「裾野は長し赤城山ですね」と申したところ、

その先生は「いや私のところからは裾野は長しじゃなく、裾野は見えないんだよ

「その句は赤城山の東西から読んだ歌で、とても限定的なんだよ」

そうつまり我々は自らのいる位置を中心として捉える傾向があり、事物の判断はほとんどがこの傾向に当たると・・・・

確かに、相対的な感覚というのは我々に乏しいと言わざるえません。

人の好き嫌いがはっきりしている人がいます。以前、申し上げた某有名デザイナーの奥様がエールフランスのビジネスラウンジで隣席で待合の時、その当時、連勝していたプロゴルファーのI氏に対して、

「あの人、花がないわね」「花がなけゃだめよ」と言ったことが印象的です・・・

だって、花があるかないか、ダメかどうかどうして決められるんですか?

己の極小の経験と倫理観に置いてそう発するのは独裁者のそれと同様ですね。

皆さんこんな批評ばかりしていませんか?恥ずかしいですよ・・・・

私なんかその好き嫌いさえコロコロ変わるのですから、「花がない」なんて断定はできません。

Conseveとはそもそもその物が減耗、変質、損傷しないように維持務めるとい意味があります。したがって社会、制度、規律などが伝統的で急変しない関係に用いられます。つまり保守的であると。

もともと物事は細胞のアポトースシ同様、最終的には「死」に向かって変異していくものだと考えている私はこの正反対の思考法です。

朝ある事は夜あるとは限りません・・・・・・・

天才中学生VS

年末になると見るテレビがなくチャンネルを次々と替えていたら掲題のような番組をやっていました。

息子の出身高です。いや、出場していた人には申し訳ありませんが、天才でも秀才でもありません。ただの凡人です。

息子の頃にはまず優秀な生徒はこういった番組に出ないものとなっていました。もちろん、最優秀でなくても学校の名前を背負って行くのですからそれ以外でも遠慮していた雰囲気があったそうです。

マスコミとは恐ろしいものです。観ている人はあの番組で勝手にイメージを作っていくのです。

私は息子に言いました。「国立大学法人化はいつかかならず平均化する。そのときはK高校やE学園の方が歴史と伝統も残るかもしれないよ」

息子曰く、「僕がいる間は大丈夫でしょう。確かに10年くらいすると変わるかもね・・そのときはここにいないから大丈夫」

昨日のテレビを見ると私の危惧が現実のものになりつつある気がします。

後援会は卒業生の組織化を図るようです。しかしそれには現役世代の飛びぬけた努力が必要なのは言うまでもありません・・・・

年末恒例 書籍まとめ買い

大晦日の午後と元旦は炬燵から出ないと決めています。何故なら、年末にまとめ買いした書籍をロングランで読み続けたいからです。私の密かな楽しみです。もちろん年賀状がきても取りに行きません。ただ、ただ読み耽りたのです・・・・・・

今年購入したのは以下の書籍です。










後段の2冊は私のような零細企業では必要ないでしょうが、会計学をかじった(嘗めた?)身としてはIFRSの導入によってのれん代が償却できなくなったりすることは今までの会計の基準に強く影響を与えると思われるので勉強用です・・・・ハイデガーは55歳という若さで急逝した門脇俊介氏への鎮魂の意味もあります・・・・・

組織と個人 オルテガ スティグレール

経営学を学んだことのある人なら組織論について世の中にその専門書は星の数ほどあることは既知であろう。あえてそのような大上段からとやかく述べるつもりは無い。

ただ、私の周りには大企業の社長、VBの執行役員、大手メーカーのエンジニア、証券会社役員、エアラインの部長等、所謂企業の要にいる人、さらに個人経営者、芸術家、左官屋さん、大工さん、お豆腐屋さん等企業に属さないで働いている人と様々な人たちと会話する機会が多い。

ここでどちらがどうのと言うつもりはない。ただ、オルテガが言う「人間不在の人間でないもの、精神不在の人間でないもの、魂のない人間的なもの、非人間化された人間的なもの」を集団=組織には想起させるものがある。



したがって、それらに属する人たちには思うと思わざるにかかわらす゛集団についての親和性が高い。

オルテガが言うように警察官に一時停止を命じられて止まるのは、己の意志ではない。警察や国家、己に社会的役割を命じているのだ。そして己はこの装置となりえるのである。




ベルナール・スティグレールはデリダとの会話の中で「テレビやインターネットは常時外部世界を家庭内に導き入れる、私達の生活はいっそう孤立し、いっそう個人化してしまう。そして私達は公的交空間と私的空間の区別を失い、家庭内に寛ぐことが出来なくなる。」

そしてこのような結果、領土が形作る国家や市民といった伝統的脱地域化への導かれ、プチ国家とも呼ぶべき、自己や家庭への回帰をもたらす一因となっている。」と警鐘を鳴らしているのである。

「坂の上の雲」を見ていて、ロシアと戦争をする時、相手にやられる前に相手を討つという切羽詰まった国民の心(軍部や政治家)が、まさに「慣れ」「社会的な見えざる手」によって戦争を社会装置化し、国民を太平洋戦争に運んだことを思うと、我が国の制度としての官僚主義は明治より綿綿と受け継がれ存続している事を再確認するのである。

当然、組織との親和性を持たない私ですから、己の社会装置化されることへの嫌悪と反発はかなりのものだが・・・・・

2010年12月26日日曜日

炭火焼肉  at home



家の中だとすごい臭いになるので外で炭火焼肉です。

それにしても今日は寒いです。

戴いた牛カルビに今日葉山で購入したお肉を加えます。とんトロも加わります。

我が家のバカ馬の焼肉たれのレシピです。

★ニンニク 適当にすりおろす
★粉唐辛子 適量
★お酒 少々
★ごま油
★砂糖 少々
★六助の塩 少々
★胡椒 少々
★ネギ 少々

これに醤油とコチジャンを入れたら醤油だれです。このまま使えば塩だれです。

塩だれにはもっとネギを入れてレモンで食します。

我が家では醤油だれはわさび醤油を付けて食します。

3人BBQでした・・・・・

年末の買い出し

30日まで仕事があり、お正月には親戚や会社のスタッフが集まります。

お節はそれぞれの家庭で食べているでしょうから、我が家は鴨のローストとお刺身としゃぶしゃぶです。

しゃぶしゃぶは葉山牛を買い求めます。昨年同様、葉山の森戸海岸にある旭屋牛肉店です。





先日、2750㌘の女の子の生まれたT女史が実家に里帰りしているのでそちらに少しですがお裾分けです。我が家の分は別に5㌔買い求めました。

ついでに出来立てのひとつ70円の葉山コロッケを買い求め妻と店先でほおばりました。美味しいです。

店先の柴犬がナツイテきます。まだ幼いようです・・・・犬は可愛い・・・・・・・

湘南国際村を抜けての帰り道です。海は荒れています。私の腰も荒れています(?)

家まで30分で帰り道です。

2010年12月25日土曜日

やがて消えゆく我が身かな



寒くなると神経痛がひどくなります。息子の書架から本を引っ張り出して調べてみると坐骨神経や閉鎖神経後肢や前肢のあたりのようです。解放痛もあるので確かではありませんが、9月よりこのような鈍痛が継続しています。

先週も整形外科にてあまりに鈍痛がひどいので見てもらいましたが、やはり諸悪の根源は腰のようです。

加齢とともに色々な所の不具合が出てきます。息子の高校の先生が著した「やがて消えゆく我が身かな」という心境がぴったりです。

まあ若返ることは細胞学的にみてありえない訳ですから・・・・・・

クリスマスでもお休みではない人も多く働いています。息子も新しい研究室のアポを取って出かけました。娘も出社です。

そんな人たちにもメリークリスマス!!!

今日の曲はちょっと夜っぽいですが、ジョーサンプル&レイラハザウェイ



2010年12月24日金曜日

X'mas dinner たまぷら トルバドール



娘も遅く、息子も研究室です。妻も今日は料理したくなーい光線を発しています。

そういうときは外食です。今日はイブなので洒落たお店は一杯だろうと、たまぷらのトルバドールにシジ、ハバもつれてクリスマスディナーです。

それにしても年を取るとこんなにおしゃべりになるのでしょうか?おババのうるさいこと、ずっーとしゃべり続けています。

私はNYスタイルのステーキ、妻はガーリックステーキ、ジージとバーバはチキンです。






ビールはクリスマス・エールです。色は濃いけど以外とすっきりしています。

紺のTシャツがボロボロになったので白を買いました。大きめのLを買って乾燥機でガンガンに小さくして着ます。